【四字熟語の処世術】一期一会

 Date:2012年11月05日09時59分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任
一期一会


一期一会 (いちごいちえ)…四字熟語の代表格のような言葉であり、額に掛かった書をあちこちで目にする機会も多い。
辞書を見ると茶道で使われた言葉だとあり、「期」が仏教の「時」の概念だともある。一期を人の一生と捉え、一生に一度の機会を大切にすることとその意味が教えられている。

以前、ある和尚さんに聞いた話だが、人類の歴史が始まった 5千年ほど前から今日までの期間を三期に分けて、最初の一期を青陽期 (せいようき) と言い、次の一期を紅陽期 (こうようき) 、最後の期を白陽期 (はくようき) と言うらしい。

青陽期はお釈迦 (しゃか) 様に道を伝えたとされる燃燈古佛 (ねんとうこぶつ)様が1500年間この世界を収められ、紅陽期はお釈迦様が 3000年間、そして白陽期は、お釈迦様が当来仏(とうらいぶつ)として預言された弥勒(みろく)様が10800 年間収められる時代で、因みに、今はその白陽期に入ったばかりなのだそうだ。

 それが何を意味しているのか…実はその「期」毎に救いの道がこの世に現れ、人々を極楽天国へと導くというのだ。
 つまり、この救いに預かることのできるのは、各一期に一度の機会であり、人の一生どころか 1500年、あるいは3000年、更には 10800年に一度の機会しかないということなのだ。

 仏教における輪廻の思想があるからこそ生まれる話ではあるが、何度となく転生してこの世に生を受けても、救いの道に出会える確率は極めて少なく、だからこそ、一瞬一瞬の縁を大切にしなければならないことを教えているとも言えるのだ。

 「袖 (そで) すり合うも他生 (たしょう) の縁」という言葉がある。毎日どこかしこで出会う人も、「他生」つまりは前世で何がしかの縁を結んだ結果であるとの教えである。
 まして毎日顔を合わせる家族や職場の仲間、友人や知人ともなれば、いかほどの縁のある方々か、想像するに難くない。
 多少の考え方や意見の食い違いに、いがみ合う姿は如何なものか。偶然の結びつきではないと思えば、素直に耳を傾けることもできそうな気がする。

 仏教がいう救いの道も、人という媒体がなければ出会えないことを思えば、偶然と見える出会いの中にも、深い繋がりを感じて、その一瞬一瞬を大切にしたいと感じる。

 一期一会の尊さと共に、日々隣にいる人々への感謝も忘れないようにしたいものである。