【四字熟語の処世術】四苦八苦

 Date:2012年12月26日17時08分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任
四苦八苦


今年も早いものでもうすぐ大晦日を迎える。NHKの紅白歌合戦が終わると、画面には降り積もる雪と除夜の鐘の映像が流れる。私もその一人だが、日本人の多くがこのテレビの中に思いを馳せながらも、自分自身の行く年を振り返り、来る年に願いを託しているのではないだろうか。

ところで、その鳴り響く鐘の音は百八つである。人間が抱える煩悩の数だといわれる。その一つ一つの煩悩をひと鐘撞くごとに消していく。旧年中に百七回を撞き、年が明けてから残りの一回を撞く。

108という数字には諸説あるが、「一期一会」の項でも紹介した和尚さんの話では、神話の時代から今日に至るまでを三期に分け、1500年続いた最初の「青陽期」には九つの水による大きな禍が人類を襲い、3000年続いた「紅陽期」には火による18の禍が、そして10800年続く「白陽期」の初頭には81の水と火と風の禍で人類は終焉を迎え、その後に地上が楽園となる弥勒の御代が実現するのだそうだ。そういえば、西遊記の話も三蔵法師一行が経典を貰うまでに出会う災難が81だったように記憶している。こうした数字には何か深い意味が隠されているのだろう。

ところで、この三期に人類を襲う数を足してみると108となる。とすれば、108とは人類が生まれ、そして滅んでしまうまでに味わう全ての災厄の合計数だということになる。一般的な解説では一人一人を悩ます煩悩の数が108あるということだが、和尚さんの話で言えば、この地球や人類全体が持つ煩悩の数もまた108あるということだ。
 
さて、本題の四苦八苦だが、四苦とは人が避けて通ることのできない苦しみを四つに分類したもので、「生・老・病・死」の四大苦である。誰もが生きる上での苦を味わい、老いるに苦を味わい、病に罹って苦を味わい、最後には死を迎えて苦を味わう。八苦とは、この四苦に「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」を加えたものをいう。

愛別離苦とは愛する人と必ず別れなければならない苦しみ、怨憎会苦とは怨み憎む人と出会わなければならない苦しみ、求不得苦とは求めても得ることのできない苦しみ、五蘊盛苦とは肉体がある故に、形あるものに執着し、そのために次々と生まれる苦しみで、人はこの四苦八苦に悩まされながら生き続ける。人が幸せと感じるのは、実はこの苦しみの上に咲いたほんの一瞬の安らぎでしかない。仏教ではこの世界があくまでも仮の世であり、永遠の幸せは実なる世界、つまりは彼岸である仏の世界(霊の世界)にしかないことを教えているのだ。

少しばかり難しい話となったが、この「四苦八苦」。数字に置き換えてみると四苦は4×9で36。八苦は8×9で72。二つを足すと108になる。人は108の煩悩に苛まれ、四苦八苦しながら今を生きているということなのだろう。

来る年が少しでも煩悩少なき年であることを願う。