【四字熟語の処世術】温故知新

 Date:2014年09月22日16時58分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任
温故知新(おんこちしん)


先日、物理学を専攻しているという大学生が我が家にやってきた。おもしろい話しをしてくれるので楽しいひと時ではあったが、無神論者になったという彼の考え方に驚いた。
彼は厳格なカトリックの両親の許に生まれ、子供の頃から教会に足を運び、イエスキリストの教えを聞いて育ったそうだ。しかし、科学に惹かれていくうちに、神が人間を創造したという教えが、進化論を軸にしか物事を捉えることができなくなった彼には受け入れることができなくなったのだという。
ただその一点からイエスの教え全体にまで価値を見い出せなくなった彼が、果たしてこれからいい人生を送れるのか、正直、不安を覚えてしまった。私は別にキリスト教徒ではないが、イエスの教えも万人が学ぶべき人の道であると思っている。宗教という殻に縛られていては真実に教祖の心を知ることはできないと思えるからだ。
そんな彼に私は孔子や老子、釈迦の教えの素晴らしさもわかってもらいたいと思ったのだが、アインシュタインの相対性理論など、現代科学の理論こそが最高の教えであると考えている彼には、過去の先人の処世訓などは、興味の対象外だったようで、馬耳東風の体であった。

「温故知新」おんこちしん…論語為政篇にある言葉である。
「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以って師と為すべし。」(しいわく、ふるきをたずねてあたらしきをしる、もってしとなすべし)
辞書によれば、孔子が言われるに、『過去の古い事柄を再び考え、新しい事柄も知れば、他人を教える師となることができるだろう。』とある。

孔子は先人の教えを深く学び、新たな時代を切り拓くための知恵とされた。古いからといってその教えや考え方が現代に通用しないのではない。学ぼうとする謙虚さがないだけである。もとより、孔子は先人の教えだけではなく、子供からでも学ぼうとされたほどの方である。常に低きに身を置いておられたが故に、その受け皿としての器は広く大きくなり、知識も含めあらゆる事柄を受け入れることが出来たのだろう。
科学であれ、哲学であれ、芸術であれ、何かを学ぼうとする者は、分野という殻を超えて先人の英知に学び、新しきを知る努力を続けなければならない。我が家を訪ねてくれた学生が、その殻を破れる時が来ることを願っている。

なお、「温ねて」(たずねて)を「温めて」(あたためて)と読むこともあるようである。古き先人の教えを学び、自分の物として温存し、応用して新たなる事柄をも知るに至る。そのような人にしてこそ、人の師となることができると孔子は教えられたのであろう。
謙譲を持って美徳とする心を失わないようにしたいものである。