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Date:2015年08月11日17時16分
Category:
文学・語学
Area:
指定なし
Writer:
遠道重任
今年も盂蘭盆の日がやってきた。仏教徒が多い日本人にとっては先祖を供養するための大切な日といえる。
子供の頃、8月13日の夕方は決まって祖母と一緒にお墓に出掛けて行った。提燈に明りを戴いてから家に持ち帰り、きれいに飾った祭壇の燈明に火を移して祖霊をお迎えするためだ。いつもは怖い感じのするお墓までの薄暗い山道も、その日ばかりは浮かれ気分で足取りも軽かった。お盆の間は祭壇に供えられた日頃食べることのできないお菓子や果物を祖母からもらえるのが楽しみだったからだ。
15日の夜には、また、提燈に明りを点してお墓まで祖霊をお送りするのだが、墓前で息を吹きかけ明りを消すのは何となく寂しい気がして嫌だった。また、お送りする時には祖霊への「おみやげ」として、菰(こも)と呼ばれる植物の葉で作った船に、お供物をいっぱい乗せて海に流すのも習慣だった。波に揺れる「菰船」に手を合せながら、祖母はいつも「十万億土の彼方にある極楽浄土におじいちゃんの霊は帰って行くんだよ」と言っていた。仏様の住む世界が海の向こうで、それは遠い遠い所だけども、間違いなくある…子供だったからか、少しの疑いも抱かなかった。
そんな田舎の風習も、今では納骨堂ができ、お墓もなくなり、海に物を流すことさえ禁止されてしまい、昔ながらの風情は無くなってしまった。子供達と、おじいちゃん、おばあちゃん達とのコミュニケ—ションの場も、またひとつ消えたようで残念に思う。
盂蘭盆はお釈迦様の弟子である目蓮尊者が餓鬼道に落ちた母を救う孝行説話を載せた盂蘭盆経の教えから始まったものだ。それが今では年に一度先祖に手を合せさえすればそれで充分供養になると信じる人が増え、かえって、罪つくりな一面を生んでいるようにも思える。
回光返照(回向返照:えこうへんしょう)という言葉がある。仏教者の教えでは、「外に求める心を内に返し向けて、自らの内なる智慧の光で、自己の仏性を照らすこと」とある。外にばかり捉われず、まずは自分を見つめることから始めよということだ。
私は更にその光を他に及ぼし、他をして仏性に気づかせ、その光を共に輝かせることが大切だと思っている。自達達人(自ら達して人を達せしむ)の行である。自分の中にある光、すなわち善性(仏性)に気づき、その光を大きく輝かせ、その光を自身の内に廻らすと同時に、周りにも廻らし照らし、さらには先祖にも返照していく。
先祖供養とは決して仏壇に供物を供え香を献じ、手を合わせることではないと思う。自分の心を磨き、内なる光を成長させ、その光を先祖に返照し、もって報恩とすることが、真の先祖供養ではないだろうか。自分が人として立派に成長し、徳を積み、大きな光と化すこと、それがまずは供養の第一歩に違いない。盂蘭盆会を迎え、今一度、本当の先祖供養、本当の孝行とは何かを考えてみたい。