【四字熟語の処世術】百八煩悩

 Date:2015年12月25日09時21分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 聖夜の楽しみが終わり、仕事納めの時期になると、我が家は勢い年の瀬の慌ただしさに包まれる。年末年始を海外旅行などで楽しむという家もあるようだが、我が家には無縁である。特に年末の休みは家事に忙殺され、仕事よりも時間に追われる日々となる。家の大掃除に庭の草取りはかなりの重労働で、デスクワークが日課の者には体力の消耗も半端ではない。洗車や買い出しなどもそう楽ではない。細々した作業も多く、確実に31日まで続く。NHK紅白歌合戦も聞き流しの状態で、手と体をゆっくりと休めることができるのは、紅白も終わりに近づいた頃だ。年越しそばもその頃に出番を迎える。紅白の後に放送される「行く年来る年」。そこで聞く除夜の鐘。梵鐘を撞く音の中で新年を迎えるというが、私の年末年始、定番行事なのだ。

 大晦日の夜を除夜という。その時に、佛寺で打ち鳴らされる梵鐘を除夜の鐘という。旧年中に107回撞き、開けて新年に1回撞くというのが一般的なようだ。合計すると108回になる。仏教ではこの108という数字は煩悩の数だと教えている。煩悩とは人が抱く欲望や怒り、貪り執着から生まれる迷いである。言い換えれば、人は常に108もの迷いの道を歩き続けているというわけだ。迷いとは心の乱れを意味し、心の安らぎ、悟りの境地と対極にある。すなわち、煩悩を鎮めて心を安らかとし、波が静まれば月を写すことができるように、心を鎮めて御仏の心を自分の心に映し出すことが悟りの道なのだ。

 僧侶の撞く108の鐘は、一つ撞くごとに一つの煩悩を払い、新しい年を前に全ての煩悩を打ち払って新たな清き心で新年を迎えようとの願いが込められている。もちろん、私たちが一人で108回もの鐘を撞くことはまずできない。おそらく108の鐘の音を始めから終わりまで聞いている人も多くはいないだろう。大半は私のようにテレビやラジオから流れる鐘の音を聴く人だと思う。ならば、せめて梵鐘の音に一年を振り返り、人に対し愛情を持って接することができたか、手を出すのは論外としても言葉や文字で人を傷つけはしなかったか、自分の体や心を自分自身で傷つけたりしなかったか等々、自分の内面を深く見つめる時間としてはどうだろうか。

 百八煩悩…仏教では煩悩の数を108というが、実にこの108という数字には多くの謎が秘められている。陰陽五行説から導き出される108、天文学から導き出される108、そして仏教が説く108などなど。煩悩の数といえば負をイメージするが、実は聖なる数字という説もある。私と違い、年末年始休暇に暇を持て余している人がいるなら、是非この数字のもつ不思議な魅力に迫ってもらいたいものである。