【四字熟語の処世術】泡沫夢幻(ほうまつむげん)

 Date:2017年06月08日09時31分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任


 孫娘と過ごすひと時はこの上なき幸せの空間だ。自我が芽ばえた彼女はもっぱら我を通す訓練を行っている。純粋無垢なのだが、時おりこちらの顔色を伺いながら泣き叫ぶのを見ると、あれ…と首を傾げたくなったりもする。娘夫婦と彼女の綱引きは日常茶飯事で、負け続けの娘はかなりストレスを抱えいる。その点、グランパは良い加減の立ち位置だ。目一杯のわがままを唯々聴いてあげて、ご機嫌を損なわぬように接するだけだ。

 ところで、今彼女が夢中なのはシャボン玉である。近くにいる者の手を引いては外に連れて行けと強引だ。もちろん、シャボン玉を持ってである。昔は石鹸水で液を作り、ストローで風船を膨らませたように記憶しているが、今は小さな容器に入ったシャボン玉液と工夫されたストローがついて売っている。これを使うと面白いくらいに次から次へと簡単にシャボン玉が生まれる。風に揺られてあちらこちらへと飛び交う様は見る者を童話の世界へと誘うようだ。

 娘は子供のためのシャボン玉遊びのはずが、いつの間にか自分が夢中になっているのに気づくそうだ。「一番無心になれる時間」だと口にする娘を見ると、よほどにストレスフルな毎日を送っているのだろうと心配にもなる。ただ、自分もやってみて思うのだが、確かに孫を忘れて夢中になっている自分に気づき、ハッとすることが多い。実に不思議な体感だ。

 シャボン玉は生まれては直ぐに消えゆく存在なのだか、なぜかその行く末を見守るなかで、安らぎを覚えている。考えてみれば人生もまたこのシャボン玉のような存在なのかも知れない。ほんの一時の安らぎの場。風に揺られ止まる場所を見いだせず、ただふわふわと宙を舞い消えゆく存在。儚き故にいとおしい存在である。

 泡沫夢幻…水の泡とゆめまぼろしの意から人生のはかなさを表した四字熟語である。まさに人生は泡沫夢幻。仏様から見ると人の一生は弾指の間だと言われる。仏様が指を弾く一瞬でしかないという意味だ。そのすぐに消えゆく仮相の人生に、実相を求めてしまうが故に悩みや苦しみが生まれるのだと仏教は教える。シャボン玉が身を風にまかせて飛ぶように、人もまた自然と世の移り変わりに身を任せることが出来れば、無用なストレスなど抱えなくていいのかも知れない。その自然な生き様に人は愛おしさを感じるのかも知れない。

 娘が無心にシャボン玉のストローを吹き、孫娘が無心にシャボン玉を追う姿。私にとって仮相を離れ実相に身を置く安らぎの一時である。