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【街景寸考】おやつのこと
Date:2019年03月06日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
わたしが暮らしていた昭和30年代の炭鉱長屋では、おやつを食べるという習慣はどこの家庭にもなかった。東京や大阪の都会で午後3時頃になると、饅頭などをおやつにして食べているらしいことを知ったのは漫画雑誌からだった。サザエさんの4コマ漫画でも、カツオが茶棚からおやつを取り出して食べるところが何度も描かれていた。
炭鉱長屋ではおやつは出してもらえなかったが、どこの家庭でも小遣いは貰っていたようだった。小学校低学年は1日5円、高学年からは10円というのが当時の相場だった。わたしは学校から帰ると祖母に小遣いをねだり、貰うと一目散に駄菓子屋へ駆けていた。近くに駄菓子屋が3軒あり、いずれも優劣をつけ難かった。その日にどこの駄菓子屋に行くかは、大抵小遣いを貰う前に目星をつけていた。
駄菓子屋に行く途中で紙芝居に出くわしたときは、紙芝居を優先した。飴と酢昆布くらいしか売っていなかったが、紙芝居を観る楽しみの方が上だった。当時は「コケカキーキー」(鬼太郎のイメージに似ていた)や「黄金バット」の続き物をやっていた。
駄菓子屋での楽しみは、買いたいものをあれやこれやと思案しているときだけであり、買ってしまうと興から冷めてつまらない気分になった。一品の駄菓子を食べても腹の足しにはならなかったからだろう。その点、紙芝居は物語の余韻が残るため、その間はしばらく子ども心を満たしてくれるのが良かった。
中学生になると駄菓子屋に行くのが少し恥ずかしくなっていた。同時に駄菓子そのものにも興味が薄れていた。本物のお菓子の美味しさに目が向きだしたのだ。わたしは10円の小遣いをその日に使わず4、5日分を貯め、商店街のお菓子屋まで行って、饅頭や明治のチョコレートなどを買って食べる楽しみを覚えたのだ。
10円で腹を満たす使い方を知ることもできた。食パンの耳の部分を買うのである。パン屋はパンの耳を養豚業者に回していたようだったが、ほしいと言えば店の奥から出してきてくれていた。パンの耳は5円で4枚も買うことができた。残った5円で小さなビニール袋に入ったりんごジャムを2個買い、それを全部パンの耳にかけて食べた。学校帰りの空き腹に入ると、身も心も満たされていた。
おやつの話に戻る。おやつの「お」は接頭語であり、「やつ」は午後3時頃をさす江戸時代に使われていた時刻(八つ刻)のことだ。1日に朝夕2食しかしなかった時代に、腹が減ってくる「八つ刻」で間食をするようになったのがおやつの語源だ。つまり、長時間働く人たちのために間食が次第に習慣化され、その間食をおやつと呼ぶようになったようだ。
そういう意味では、3時のティータイムを悠々と過ごす有閑マダムたちの場合は、この語源の対極に位置する人々だと言っていい。