【街景寸考】アーミッシュのこと

 Date:2019年04月17日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 先日、ハリウッドの大スター・ハリソンフォードが主演した映画「刑事ジョン・ブック/目撃者」をテレビで観た。10年ほど前にも一度テレビで観たことがあったが、筋立てのおもしろさとは別に、この映画に登場するアーミッシュの人々をもう一度観てみたいという思いがあった。

 あらすじは、殺人事件を偶然目撃したアーミッシュの子どもを守るため、主人公の刑事がアーミッシュの村に滞在し、そのうちにその子どもの母親と恋に落ちるというものだ。わたしはこの映画を観ながら、アーミッシュの人々の伝統的な服装や生活様式に強く惹かれ、自分もそのコミュニティの一員になってみたいという憧れさえ持った。

 アーミッシュの人々とは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州などで暮らすドイツ系の移民であり、プロテスタント系宗派の信徒でもある。現代の文明社会から毅然と距離を置き、移民をしてきた19世紀当時の風俗や文化を頑なに守りながら、主に農耕や牧畜によって自給自足を続ける集団でもある。

 交通手段は今も馬車であり、自動車は使わない。電話はもちろん電化製品もほとんど使わずに暮らしているようだ。以前本欄で「吉四六劇団」を主宰しながら大分県野津町で自給自足の生活をしていた野呂祐吉さんのことを書いたことがあったが、その野呂さんでさえ軽トラを持ち、冷蔵庫、洗濯機、ラジオだけは「必需品だ」と言っていたのを想い出した。

 アーミッシュに感心するのはその伝統的な生活様式だけでなく、その考え方であり精神である。大家族を構成し、近隣のコミュニティは深い互助的な関係でしっかり結ばれているという。この映画の中でも、親族や近隣の人たちが集まって、新しい家を見事な協働作業によって建てている光景が爽やかに映し出されていた。

 一方、厳格な決まりごともあるようだ。例えば服装は質素でなければならず、教育を受ける期間は8年間だけというのもある。教育を長く受けると知識が先行し、謙虚さや神への感謝を失うというのがその理由のようだ。他人との喧嘩はもちろん、他人を怒ってはならないという無抵抗主義的な理念も人々の間に強く浸透している。この映画の中でも無抵抗主義を象徴するシーンが描かれていた。

 映画の終盤では、緊急事態を知らせる鐘の音を聞いて村人が駆けつけ、丸腰のまま悪者を追い詰めるというシーンもあった。事件解決後、刑事とその女性が悲しい別れに苦悩する情景が映し出され、お互い以前の生活に戻って行くという切ないシーンで幕が下りる。わたしがその刑事だったら、迷わず村に残って彼女との人生を選ぶところである。

 その道を選ぶのは、彼女への思いだけではない。利己主義や経済至上主義、拝金主義などとは一切無縁の、「足るを知る」人間の暮らしがその村にあるように思えるからである。