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【街景寸考】新1万円札に期待すること
Date:2019年05月08日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
5年後の2024年に新紙幣が発行されることになった。近年、パソコンやスキャナーなどの機器が精巧になってきたことから、それらを用いて作った偽札が出回るのを防ぐためというのが主な改刷の理由のようだ。
わたしがお札をお金だと初めて認識したのは、5歳頃だったろうか。主に1円札と百円札だった。同じ頃に50円札も一部には出回っていたようだが、覚えていない。1円札紙幣は白っぽかったが、どんな絵柄だったのか、肖像人物は誰だったのかまったく記憶にない。百円札は茶褐色だった。その人物は白鬚を顎の下まで長く伸ばした板垣退助だった。
当時、わたしはこの百円札が大好きだった。なぜなら、小遣いが1日10円だった頃に、近しい大人たちからお年玉として貰っていたのが百円札だったからだ。ポケットに百円札が4、5枚も重なると金持ちになった気分になり、喜びで満ち溢れた。お年玉は自分しか分からないところに隠したり、直ぐに出して眺めたり、折ったり、広げたり、匂ったりした。
この頃、5百円札の肖像は岩倉具視で千円札は聖徳太子だったが、祖母が財布から取り出したときに見るだけで、まじまじと見る機会はほとんどなかった。千円札の肖像が聖徳太子から伊藤博文に変わったのはわたしが中学生の頃で、聖徳太子はこのとき格上げされて最初の1万円札の肖像となった。
今回発表された改刷では、渋沢栄一が3人目の1万円札の肖像人物になった。渋沢栄一のことで頭に浮かんできたのは、第一国立銀行を設立した人物であるということぐらいだ。中学校の歴史の教科書に載っていた記憶がある。ところが今回の改刷報道で、同氏が500もの企業の設立や経営に関わり、更には一橋大学など大学の設立にも尽力した人物だったということを知り、驚かされた。
中でも特に感心したのは、かつて同氏が「道徳経済合一説」という経営哲学を後進に強く説いていたことだ。「道徳なくして経済なし」という理念に基づいたものである。この考え方にはわたしも大いに同調するところである。しかし、残念ながらその後の日本は道徳経済合一説とは真逆の経済社会を形作ってきたように思われて仕方ない。同説がすでに明治時代に唱えられていたという先見の明に驚く同時に忸怩たる思いを覚える。
今、社会問題になっている様々な格差は、私的利益の追求のみに走ってきた経済の誤りに因るものだ。この傾向は、今のグローバル資本主義により更に加速している。こうした格差社会に一筋の光明を与えるのは、道徳経済合一説を今の経済社会の現場で実践していくことではないのか。
政財界関係者は、渋沢栄一の新札を拝みながら経済活動を行われんことを切に望みたい。