【街景寸考】恥知らずなこと

 Date:2020年02月26日09時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 高度経済成長期の1960年代、「日本一のゴマすり男」(主演・植木等)という痛快コメディ映画があった。主人公が会社の上司にゴマを擦り、おべんちゃらを駆使して出世街道を突き進むという筋立ての映画だ。

 当時、高校生だったわたしは、面白おかしくこの映画を観たが、実際の会社組織ではあり得るはずのない漫画のような世界だと思っていた。賢い上司たちが、主人公のような見え見えのゴマ擦りに化かされるはずがなく、現実社会では仕事ができる優秀な社員が正当に評価され、出世していくはずだと思っていた。

 ところが社会に出てみたら、この映画ほどに見え見えではないが組織の中でゴマ擦りが行われ、ゴマ擦りの効果を発揮する社員が出世するという例が少なくないことを知った。更には、市民・県民のために仕事をする公務員の組織でも同じことがあることを知り、驚いたり失望したりした。議員にゴマを擦る職員が出世し、筋を通す正義感の強い職員が冷飯を食わされる傾向があることを何例も見てきた。

 かく言うわたしもかつては宮仕えの身であり、上司から快く思われたいという気持ちが常にあったことは否定しない。ただし、ゴマを擦ったり、おべんちゃらを言ったりして自分を取り入ってもらおうという卑しい根性は持たなかった。こうした行為は人間として恥ずべきであり、自分の心を偽ってまですることではないという強い気持ちがあった。とは言うものの、忖度(そんたく)はしてきた。

 忖度というのは、「他人の心を推し量る」または「推し量って相手に配慮する」という意味であり、元々は悪い言葉ではない。ところが近年、霞が関の官僚らが安倍政権の意向を推し量り、虚偽答弁や公文書の改ざん・隠蔽等、不当と疑われる次元まで配慮をするようになったことから、忖度は印象の悪い言葉のように思われている。

 官僚が政治家にゴマを擦り、おべんちゃらを言うのはまだ我慢できても、不当と疑われることまで忖度するのは甚だ論外である。官僚とは、国民の方を向いて仕事をするのが本来の姿だ。頭が回る連中だけに、こうした忖度を確信犯的に行うのはさぞかし不本意であるはずだ。忖度せざるを得ないのは、官僚たちの命運を握っている内閣人事局の存在が背景にあると言われている。それが事実だとすれば、何とも浅ましい現実である。

 森友・加計問題もいまだ不透明なままにある。「桜を見る会」やその前夜祭における安倍首相の税金の私物化や政治資金収支報告書不記載の問題、果ては検事長定年延長の問題に至るまで、もはや答弁が論理的に破たんしているにもかかわらず、政権が崩れる気配はない。

 この恥知らずな有様に、わたしは恐怖さえ覚える。この国の道徳心が根腐れしていくような恐怖である。