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【街景寸考】美空ひばりのこと
Date:2020年03月25日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
わたしが4、5歳の頃から歌手・美空ひばりのことを、薄々だが認識していたように思う。歳の割には早熟だったように思われるかもしれないが、そうではない。当時は、ラジオから頻繁にひばりの歌声が流れ、雑誌の表紙などで可愛いひばりの顔が町中に溢れていたので、大人から幼い子どもまで知らない者はいなかったという時代でもあった。
6歳のとき、わたしは初めてひばりの映画を観た。美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの三人娘が出演した「ジャンケン娘」という映画だった。当時はまだテレビが普及していなかったので、映画の中でひばりが思いきり笑い、はしゃぎ、歌っている映像をわたしは身を乗り出して見入っていた記憶がある。
この後なんと1年もしないうちに、ひばりの実物を観る機会が訪れたのである。地元の映画館が火事で全焼したため、新しく建てられた映画館の杮(こけら)落としにひばりが特別出演することになったのである。ひばりが産炭地筑豊の小さな町に来たのは、後にも先にもこのときだけである。町は公演当日までこの話題で持ちきりになっていた。
公演当日、映画館の周辺はひばりを一目見ようとする人々でごった返していた。わたしは祖母に手をひかれて会場の扉付近までは辿り着くことができたが、それから先は一歩も進むことができなかった。わたしは大人たちの間に挟まって息苦しくなり、怖くて泣き続けた。祖母は何かをためらっていた様子だったが、泣き止まないわたしの手を突然強く握り直し、踵を返して映画館を出たのである。
結局、実物のひばりを見ることはできなかった。それでもわたしは、ひばりがこの小さな町に来てくれたということだけで、この日を境に他のどの歌手よりも近しい存在に思えるようになった。以降、ひばりが亡くなるまでの34年間、更に亡くなってから30年以上経った今でもわたしはファンであり続けている。
有難いことに、すでにひばりが亡くなっているにもかかわらず、否、むしろ亡くなってからBS放送を中心に「美空ひばりの特番」が多くなった。これほど特番が組まれる歌手をわたしは知らない。それほどひばりの歌声には、いまだに多くのファンを魅了してやまない深い味わいがあるからだと思っている。
専門的なことは分からないが、ひばりは曲調に合わせて天から授けられたような音色を自在に表現できるただ一人の歌手のように思える。もちろん、歌唱力の素晴らしさは言うまでもない。だからこそ2時間の特番がたびたび放映されても、飽きることなく聞き続けることができる。
この奇跡のような歌手が登場できた背景には、是非ひばりに歌ってもらいたくて必死に作り続けてきた素晴らしい作詞家や作曲家がいたことも忘れることはできない。彼らの才能から生み出された昭和の時代の楽曲は、後世においても高く評価されるに違いない。
昭和を生き、ひばりの歌声を聞き続けることができた一人のファンとして、感謝しかない。