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Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
NHK・BSプレミアムで「名香合(めいこうあわせ)」という、香りの優劣を比べる遊戯を紹介するような番組をたまたま観た。そして、この番組で香道という芸道が日本にあることを初めて知った。香道とは香木を熱し、感性を研ぎ澄ませて名香を香るという遊戯に作法が加えられてきた伝統文化のようなものだった。
名香合の様子を観ていたら、作法だけでなく表現力や和歌の才覚まで問われるような、いかにも格式の高そうな遊戯のように思えた。平安時代から貴族や士族を中心に伝承されてきた文化だと言われており、遊戯は茶室のような部屋に名家の教養人らしい数人が集まって行われていた。
日本人は禅や武士道の影響なのだろうか、専門的、伝統的に継承されてきた分野をただの道楽と区別して、「〇〇道」と名づけて「道」をつけ、その道を極めようとする生き方に価値をおく精神風土を形成してきたように思う。生け花を華道と名づけ、お茶飲み会を茶道と名づけて、礼儀や作法を通して豊かな精神文化を育んできた。同じように、剣術を剣道に、柔術を柔道と名づけ、技巧だけでなく精神性をも重んじてきた。
以前、貴乃花が横綱を張っていた頃、「相撲道」という言葉を使っていた。相撲道という言葉がそれまで普通に使われていたのかどうか知らないが、いかにも力士として日々精進をする貴乃花らしい言葉だと思い、感心したことがあった。「相撲道」という言葉の中に「強いというだけでは横綱とは言えない」という意味が含まれているのは言うまでもない。
かち上げのように見せかけて相手力士の顔面に肘打ちをし、力士の立場にありながら自分の相撲の勝敗に物言いをつけ、相手力士が俵を割っているのを知りながら土俵の下に駄目押しをする行為などは、横綱たる者のすることではない。いくら強くても横綱としての品格・態度が具わっているとは言えないからである。
この「道」を目指す日本人の精神性は、職人の世界においても窺える。自分の仕事や技術に誇りを持ち、偏屈と言われようとも納得がいくまで手を抜こうとしない職人気質と相通ずるものがあるからだ。「己を律して高みを目指す」という精神性は、特別の文化で生きている者だけでなく、DNAのように多くの日本人に具わっているように思うこともある。
かつてアインシュタインが、日本人のことを「すべての物事に対して物静かで、控え目で、知的で、芸術好きで、思いやりがある」と感心し、更に「我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を創ってくれたことを」と称賛していた。
今、アインシュタインの知る日本人がどれほどいるか疑わしい。三無主義世代として生きてきたわたしの場合は、その原型すら残っていなかったように思う。