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【街景寸考】コロナ禍でのマスク
Date:2020年10月07日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
新型コロナ禍、スーパーやコンビニはマスクをした人ばかりだ。わたしはと言えば、しばしばマスクをし忘れ、そのたびにカミさんに叱られている。
子どもの頃からマスクというのは、他人の引いた風邪が自分にうつらないためにするものだと思っていた。防毒マスクをするような心境に似ていた。だから自分が風邪を引いてマスクをするときは、重症化しないためにするものだと思っていた。
もちろん、自分の咳やくしゃみから出る飛沫が他人にかからないようにするという思いもなくはなかったが、それは行儀の範囲でのことだと思っていた。最近まで、マスクに関してこの程度の認識しか持っていなかった。
ところが今回の新型コロナの流行で、マスクは自分に感染しているかもしれないウィルスを他人に移さないためのものであることを改めて理解した。理解はしたが新型ウィルスの場合は感染していても無症状のままという性質もあるためか、マスクをつけることの自覚と責任をつい失念してしまう。
マスク着用を法律で義務化する国々がある。公共交通やスーパー、銀行等だけでなく野外も着用の対象にしている国もある。これらの国々では着用義務と罰金をセットにしている場合がほとんどだ。日本人は義務化されなくても積極的にマスクをする国民である。日本人のDNAの中に惻隠の情がしっかり組み込まれているからかもしれない。
欧米ではマスク義務化を反対するデモも行われている。マスクをするもしないも個々の自由であるという権利の主張が背景にあるように思える。「対面する相手の表情が分かりにくい」とか「息がしづらい」という不満や不安を持つ人々もいるかもしれない。日本人は集団感染のリスクを重視する国民でもあるので、義務化になってもデモはしないはずだ。
確かに対面する相手がマスクをしていると、表情が分かりづらくて戸惑うことがある。笑みを浮かべているのかどうなのか、機嫌が良いのか悪いのか、判断しづらいのだ。顔が半分以上も隠れているので、知人と見間違えて声をかけたこともあった。
幼児への影響を危惧する声もある。「わたしたちがマスクをしていると、子どもたちの笑顔が減り、表情が希薄になってきたようで心配です」というのは保育現場で働く保育士さんの声だ。マスクが壁になって言語やコミュニケ―ション能力、共感性等の発達に影響が出てくるという専門家の指摘もある。
もっとも、マスクをすると良い面もある。道端で知人にあっても無理に愛想のよい表情を作らなくてもよくなった。街中にいてもマスクに隠れてニッと歯をだしたり、あかんべーをしたりしてふざけることもできる。他人に見られるという緊張感から解き放たれ、半ば透明人間になったような開放感を味わえるようになった。
昔、マスクと言えば白のガーゼマスクが定番だったが、不織布をはじめ今や素材の良いものや様々なデザインが施されたものまで出回るようになった。人々が街中で仮面舞踏会を楽しんでいるかのように思えるときもある。