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Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
幼いころから、魚料理はあまり好きではなかった。今でも小骨の多い魚は特に苦手である。箸で小骨を選り分けながら食べるのは面倒臭く、その割には実入りの少ない食べ物だと思ってきた。鈍く光る皮の部分も爬虫類を思わせ、不気味に思う。血合い(赤黒い部分)も白身と違ってまずく、できれば食べずにすませたい部分である。
贅沢を言わせてもらえば、わたしが好んで食べる魚は、刺身であれば何でもよく、キンメダイやタラ、カレイなどの切り身の煮つけである。その煮汁もまた格別美味しいので、最後はいつも飲み干している。これらはカミさんの下処理のせいもあるのか骨がほとんどないので、あっという間に食べてしまう。そうすると、必ず美味かったという余韻が残り、いつも物足りなく思う羽目になる。
要するに、わたしは煮魚であれ焼き魚であれ、身の部分だけを食べるのなら好きな食べ物として挙げてもよいのである。現実にはそういう贅沢はできるわけがなく、日頃はサンマやサバなどの塩焼きをなるべく残さないように、カミさんの目を気にしながら食べている。小骨や皮を選り分けて身だけを食べる作業は、わたしにとってはまさに箸を使った格闘技である。
食べ終わったときの皿の上が汚らしくないよう気を付けているつもりだが、いつもカラスがごみ袋を乱暴に突ついた後のような状態になる。好きなサンマを食べたときは、そうなる。そして皿に残った残骸を後ろめたく見遣った後、カミさんに気づかれぬよう、そそくさと台所に駆け込むのである。
そういえば生前の祖母や母は、よく魚のアラ(身をとった後に残る部分)を煮つけにして食べていた。骨ばかりのようなアラの塊を見るたびに、わたしは気持ちが萎えていた。祖母や母はいかにもグロテスクなアラの頭(かしら)にかぶりつき、「チュパ、チュパ」と目玉を吸い、吸い取った目玉を口の中で転がしていた。幼かったわたしは、そのときの祖母や母が何か冷徹な恐ろしい怪物のように見えた。
焼きサンマのことに触れたら長男の顔が浮かんできた。長男のサンマの食べ方を思い出したからだ。頭から尾まで一直線に骨だけを残し、まるでサンマの骨の標本でも見るかのような食べ方をするのである。「身を残さずきれいに食べなさい」と叱っていたわけではなく、カミさんから「お父さんのように食べたらダメよ」と言われていたわけでもないのに、である。
長男は父親のわたしに似て、何をするにも面倒臭がる性質だと思っていた。そう思ったのは長男が中学生の頃に、「なーんか、息をするのが面倒くせぇ」とほざいたことが頭に残っていたからかもしれない。余談になるが、長男がそうほざいたときにそばにいたわたしが、「そんなら死ね!」と言ったら、長男は素っ頓狂な顔をしたのである。息をする行為と自分が生きているということが、一体であることを初めて知ったような顔だったので可笑しかった。
その長男が、サンマの塩焼きを見事に食べるのである。そして、見事なのはサンマの食べ方だけではなかったことを後で知るようになる。社会人になってからの仕事ぶりも文句の言いようがない。そういう長男であることを不覚にも気づくのが遅すぎたようだ。
今は長男と言葉を交わすたびに、わたしの方が素っ頓狂な顔になっているように思う。