【街景寸考】「祈願は遥拝で」のこと

 Date:2021年01月01日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 2020年は新型コロナに始まり、企業の経営破綻や失業等による貧困問題の深刻化、医療供給体制のひっ迫や医療従事者の疲弊等、まさに新型コロナで終わるという未曽有の1年になった。

 誰もが悪夢のような年だと思ってきただけに、2021年の初詣は「新型コロナの終息」と「平穏な日常」を心から祈願したいと思っているに違いない。ところが、その初詣も新型コロナのせいで、例年どおりというわけにはいかなくなった。神社や寺院への初詣による密接・密集状態が、新型コロナの第3波に拍車をかけることになるからだ。

 そんなふうに心配していた矢先に、分散参拝のことを知った。正月三が日に集中する初詣客を12月に前倒ししたり2月の節分まで伸ばしたりして、分散させるという方策だ。ちなみに地元・大宰府天満宮は3月末までを「初参り」にするようだ。いずれも、正月三が日の参拝にはならなくても「御利益は変わりません」ということのようだ。

 分散参拝のことを知ったかと思ったら、今度はオンライン参拝という方法があるということも知った。スマホやパソコンの画面に映し出された神社・寺院を拝観しながら参拝するというものだ。この方法だと自宅に居ながら初詣をすることができるので便利だ。溢れかえる人ごみの中に行く必要もないし、外で寒い思いをすることもない。

 ただ、横着にも自宅に居ながらにして、しかも賽銭の入れようのないオンラインという参拝方法で御利益が得られるものなのかと他人事ながらに思う。賽銭に関しては、キャッシュレス賽銭の方法があるらしいが、そこまでは考えたくはない。

 自宅に居ながら参拝するという方法では、他にも遥拝というのがある。終戦前まで国民の間で広く行われていたものだ。例えば、自宅から遠い明治神宮の方角に向かって参拝するという方法である。この遥拝は今でも宮司さんの間で認知されているようだ。

 この方法で初詣が有効なら、大宰府天満宮だけでなく、遠くの平安神宮でも川崎大師でも簡単に参拝できる。三社参りもわけない。地図を広げて位置を確かめ、その方角に向かって二礼二拍手一礼をするだけで済む(「済む」は不敬かも)。但し、この場合も残念ながらお賽銭を投げても届く距離にいないので、やはり御利益のことが心配になる。

 そう言えば、年末にWHО(世界保健機関)が世界中の子どもたちに向けて、「サンタさんは新型コロナの免疫を持っているので、世界中を移動できます」というメッセージを発していた。このWHОのウイットに富んだメッセージに続いて、どこかの神社の宮司さんにも「お賽銭を入れなくても御利益に差はありません」と言ってもらえるとありがたい。

 母は生前、わたしが運転する車の助手席からお地蔵さんが目に入ると必ず手を合わせ、通り過ぎた後で「こんなお参りじゃあ御利益はないバイ」と言っていたが、要するに分散でもオンラインでも遥拝でも賽銭を入れなくても、問題は心から手を合わせているかどうかではないかと思う。

 ともあれ今回の初詣は、遥拝でコロナ終息と家内安全・無病息災を祈願する。