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【街景寸考】「なーんも、要らん」
Date:2021年02月10日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
5歳の頃、わたしは祖母からよそ行きのために着せられたコートが気に入らず、自宅前で頑として動かずに泣き喚いていた記憶がある。祖母はいつまでも泣きやまないわたしの傍で、怒った顔になったり困り果てた顔になったりしていた。
着るのがどうしても嫌だったそのコートは、ベージュ色をしたダブルのハーフコートで、左胸にデザインが施された金色のワッペンがついていた。そのコートのどこが気に食わなかったのか、憶えていない。派手なワッペンが恥ずかしかったのか、ダブルの仕立を妙に思えたのか、ベージュ色が嫌だったのか。いずれにしても、この歳ですでに自分のファッションに何らかのこだわりを持っていたということが想像できる。
そんなわたしだったのに、いつの間にか着る物にほとんど関心を持たない性分になっていた。20代の頃も、安定した職に就けなかったというせいもあるが、夏は夏で冬は冬でいつも同じ物ばかり着ていた。安給料でも一着くらい買うことはできたが、ほしいと思うことはなかった。Тシャツや下着は1、2枚の着替えを持っていたが、Gパン1枚、セーター1枚、ジャンパー1枚、背広は一張羅という具合だった。
この時代、まだ改革・解放前の中国は、国民の誰もが人民服と呼ばれる制服のような物を着ていた。中学、高校時代、学生服が好きだったわたしは、大人になっても中国のように人民服のような物を着る国だったらどんなによいだろうと思っていたことがあった。着る物に余計な神経を使わずにすむし、平等に見える点でも評価していた。
30歳を過ぎて家庭を持ち、何とか人並みの稼ぎができるようになってからも、わたしのファッション感覚は変化も進歩もしなかった。自分から着てみたいと思う物は特になく、どんな物が自分に合うのかも分からなかった。カミさんから勧められて仕方なく買うことがあっても、適当に選んでしまうので寸法が合わなかったりすることがしばしばあった。
仕事着の背広はほとんど買わずにすんできた。というのは、アパレル業界に勤める近所のオヤジからたびたび貰っていたからだ。そのオヤジの女房は「お古」を譲りにきたときは恐縮していたが、わたしもカミさんも嬉しさを露わに貰っていた。体形がほぼ同じで、足の長さが少しわたしの方が短かったというだけだったので、手直しの必要もなかった。
現役を引退している今も、いまだにカミさんは着る物を買うよう勧めてくるが、素直に応じることはない。「なーんも、要らん。チンチンさえ隠しとけばヨカッチャケン」と言うのがわたしの常套句になっている。夏物は「父の日」に子どもたちから贈られた物を着ており、冬物は専ら息子たちのお古を着て過ごしている。
衣の本来の役割は、身体を保護し、暑さ寒さを防ぐことである。ファッション的な部分は二の次三の次だと思ってきた。わたしの場合、衣生活だけでなく消費生活全般においても、一事が万事同じような感覚で過ごしてきたようだ。
「足る、を知る」の経済を実践してきたことになる。大げさに言えば、千年も万年も持続可能な社会の一助になるような暮らし方だったのかもしれない。今にして思う。