【街景寸考】子どもの好きな食べ物

 Date:2021年03月24日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 昭和30年代の子どもの好きな食べ物の第1位は、カレーライスだった。わたしも大好きだったが家で食べた記憶はあまりない。おそらく、食事を作ってくれていた祖母にとっては面倒な献立だったのだろう。あるいは嫌いな食べ物だったのかもしれない。

 なので、わたしの場合のカレーライスの記憶は、専ら学校給食でのことになる。給食がカレーライスの日は、教室まで香辛料の匂いが漂ってきて空腹感が掻き立てられていた。この日ばかりは、白マスクと白の衛生帽子を被った給食係の子が天使に見えたものだ。

 当時、2、3度デパートの食堂に連れて行ってもらったことがあった。注文したのはいずれもカレーライスだった。それまで洋食らしきものを食べたことがなかったので、大皿にスプーンのみで食べるカレーライスは、いつものご飯と違ってハイカラな気分になった。

 カレーライスのことで面白いエピソードがある。学生時代、お盆で帰省したときのことだ。祖母が作ってくれたのは、とろみで覆われただけの真っ白なカレーライスだったのである。わたしが驚くと、祖母はそのことに気づき笑っていた。カレー粉を入れ忘れたのだった。

 第2位は鶏の唐揚げだった。2位だったが、わたしは家で食べたことはなかった。暮らしていた炭鉱の長屋界隈では、鶏の唐揚げを売っている店はなかったのだろう。それでも好きな食べ物だ2位だったということは、家庭料理として一般に普及していたからに違いない。祖母は鶏の唐揚げを知らなかったのかもしれない。

 わたしが初めて鶏の唐揚げを食べたのは、大学生になってからである。建築現場での日雇いのバイトを終えた帰り道、偶然鶏の唐揚げ屋が目に留まったのである。その日一緒に働いた50過ぎの労務者に促されて買うことになり、駅へ向かう道を歩きながら食べた。食べながら、こんな旨い物があったのかとしみじみ感激しながら口を動かしていた。

 途中、その労務者から、彼が元復員兵であったことや、ニューギニアで敗残した日本兵同士が食べ物を巡って本性剥き出しの醜い争いがたくさんあったという話を聞いた。

 好きな食べ物の第3位はハンバーグだった。鶏の唐揚げ同様、ハンバーグも家で食べたことはなかった。初めて食べたのは、わたしが中学生のとき母と一緒に入った隣町の小さなレストランだった。母の給料日だった。

 鉄板の上に載せられてきた肉の塊が、ジュウジュウと勢いよく油を弾きながら運ばれてきたのを見て、わたしは目を見張った。皿ではなく鉄板に載せたままの料理も初めだった。味は見た目どおり、物凄く美味しかった。わたしはナイフとフォークを使って食べることができなかったので、全部箸で食べた。以後、ずっと箸で食べている。

 平成時代のアンケート調査でも、カレーライスと鶏の唐揚げが上位3位以内に挙げられていた。ところが、ハンバーグは3位以内から落ち、替わりに寿司が登場していた。そして、昭和の時代では10位以内にあったコロッケと卵焼きが外れ、替わりに焼肉とピザが登場していた。外食の機会が増えてきたことを窺うことができた。

 嗚呼!昭和は遠くなりにけり、である。「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が懐かしい。