【街景寸考】「自転車に乗れた日」のこと

 Date:2021年10月27日09時13分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 初めて自転車に乗れるようになったのは、小学1年生のときだった。65年前のことである。自分でも信じられないほど嬉しかったせいか、今でもそのときの自分の様子や周囲の光景まではっきりと憶えている。

 その自転車は級友Т君のものだった。Т君はわたしと同じ炭住長屋の住人だったが、街中で暮らしているような坊ちゃん風の雰囲気を持っていた。炭住の子どもが普段着ることのないハイカラな服を着ていたことや、小学1年生にしてすでにメガネをかけていたということもあったが、何よりも品のある優しさを具えていた。

 このとき、わたしは自分の自転車を持っていなかったので、おそらく学校帰りにТ君の自転車で練習をさせてくれるよう頼んでいたのだろう。T君はわたしが住む長屋まで自転車に乗って訪ねてくれた光景をはっきり憶えている。

 早速わたしはT君の乗る自転車に並んで走りながら、炭坑が経営する病院の玄関口に向かった。病院の玄関は左右対称に緩くカーブする傾斜したアプローチだったので、自転車の練習場所としては格好の場所だった。

 Т君が見守る中、わたしは自転車にまたがり、傾斜になっているアプローチを倒れずに進むことができるよう何度も繰り返した。そのうち少しずつバランスが取れるようになり、途中で足を地面に着けずに進むことができるようになった。それでも、ペダルに足を載せて漕ごうとすると直ぐにバランスを崩し、直ぐに足で支えなければならなかった。

 小一時間くらい経った頃、足をペダルに載せても何とかバランスを保つことができるようになってきた。すると突然のようにベダルを漕いでも自在にハンドルを操作できるようになったのである。自分でも実感できないほどの突然の変化だった。

 あまりの嬉しさに、そのまま病院の敷地から離れて遠くへ行きたいという衝動にかられ、わたしは夢中でペダルを漕ぎまくっていた。誰の手も借りずに勢いよく自転車を運転している自分も、そして周りの景色もバラ色の夢のように思えた。

 後ろからT君が何か叫んでいたが、夢から冷めないうちに漕ぐだけ漕いでおこうという気持ちになり、わたしはその声を無視し続けた。雄叫びをあげたいほどの高揚感に浸っていた。この自転車が自分のものだったら良いのにという、不埒な思いも頭をよぎっていた。 

 話は少し逸れる。自転車のことで疑問に思ってきたことがある。自転車に乗るとき大抵の人は左側から乗っているのに、わたしは右側からしか乗れないのである。自転車の右側に立ち、右足をペダルに置いて左足を蹴り上げてサドルにまたがるという乗り方である。近所の子どもたちから、そんなわたしを見ながら「お前、ギッチョか」と言われてきた。

 みんなと同じように左側から乗ろうと挑戦したこともあったが、そのたびに必ずバランスを崩して倒れそうになった。先日、左利きの人はどっち側から乗っているのかを聞いてみたら、何と当然のように「左側から乗っています」と言ったのである。

 なぜわたしが右側乗りになったのか、不可思議であり謎のままである。