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【街景寸考】本音と建前のこと
Date:2022年01月05日09時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
会話には本音と建前がある。本音というのは言うまでもなく本心から発せられる言葉のことであり、建前とはお互いに差し障りのない表向きの言葉である。大抵の人は、この本音と建前を巧みに使い分けながら世間をわたっている。
自分に正直でありたいと思っている人でも、辺り構わず本音を言ってばかりいると周囲の人々から無神経な人間に思われたり、軽薄な人間に思われたりすることがある。更には、たとえ悪気がなくても、あるいは良かれと思って言った本音でも、相手の心を傷つけ、怒らせ、あるいは不信感を持たれたりすることもある。
感情的に言い放った本音は相手と衝突することがあり、場合によってはトラブルや喧嘩に発展し、それまでの人間関係を壊してしまいかねないことにもなる。一方、たとえ冷静な気持ちで本音を伝えたつもりでも、相手を傷つけてしまうことがある。それだけ本音というのは、相手の受け取り方次第では見当違いに受け取られかねないリスクを孕んでいる。
従って本音を言うときは、あらかじめ相手はもちろんのこと自分自身にもどういう影響を及ぼすのか、その是非を見定めてなければマイナス効果を生じることになる。このことは、たとえ相手が自分の親族であっても親友であっても同じである。
本音を伝えるときには、ある覚悟が必要だ。自分の打ち明けた本音が直ぐに暴露され、翌日には広く周囲に知れわたっているかもしれないという覚悟だ。この覚悟がなく暴露した相手に「なぜ言い触らした」と腹を立てたり、軽蔑したりするのは人間として愚かであり、見苦しい。この覚悟がなければ、自分の本音を他人に言うべきではない。
建前の方はどうか。いつも建前ばかりを言っている人間は、「あの人は腹の中で何を考えているのか分からない」「心を開かないので付き合いづらい」「自分の意見を持っていない」という懐疑心や物足りなさを周囲に持たれたりする。要するに、建前を喋ってばかりいると良い人間関係を築くことはできず、自身の心も太くなってはいかない。
そう言えば、本音か建前かが分かりにくい人もいる。何かの役職に就くことを固辞するという人によく見かけることがある。その固辞が本音からのものだと信じていたら、どっこい建前だったという場合だ。その役職に就きたいのが本音だが、安請け合いをすれば周囲からはしたない人間だと思われたくないという心理からのものだ。
ところでわたしの場合、良し悪しは別として本音にユーモアを交えながら伝えることがよくある。その場の空気を見定め、ひょうきんな表情や仕草を用いて笑いを取りながら本音をズバリ言う手法である。この手法を用いることで、大抵の場合は相手の気分を害することなく伝えることができる(ときどき滑ることもあった)。
こんな調子で本音を伝えていると、ときには相手からも思わぬ本音を聞き出すことができる場合もあり、一気にお互い近しい関係になることができるという効果を生むことがある。もちろん、時と場合の使い分けが必要であることは言うまでもない。