【街景寸考】ジイジのプライド

 Date:2022年01月26日09時14分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 昨年末、小学3年生と5年生の孫娘を連れて近くの本屋へ行ったときのこと。孫たちがそれぞれに気に入った本を選んだので、それを持ってレジの方に行くと、これまでとは全然違う光景が広がっていた。

 つい先日までは、カウンターが横たわり、その反対側にレジ業務に対応するスタッフが数人いるという光景だったが、この日はターミナル駅構内に何台も並べられていたかつての公衆電話のエリアのように見えた。直ぐにならんでいるそれらがセルフレジであることは分かったが、その操作の経験がなかったわたしは戸惑い、動揺したのである。

 すると、そういうわたしを察知したのか、小学5年生の孫娘が傍に来るなり「ジイジ、こうするとよ」と言って、手持ち型のスキャナーをサッと手にし、本に印刷されたバーコードを手早くスキャンし始めたのである。次に手慣れた調子でタッチパネルを操作し、最後に「ジイジ、おつり取った?」と言ってわたしの顔を見上げていた。

 予想もしてなかった孫娘の機転により、セルフレジを無事通過することはできたが、ホッとした気持ちとは別にジイジのプライドは揺らいでいた。その心の揺らぎを振り払うようにわたしは、「ありがとう、お陰で助かったよ」と言いながら孫娘の横顔を見ると、ドヤ顔になっていた。そして、わたしのプライドは更に揺らぐことになった。

 少なくとも昭和時代までは、社会の最前線で懸命に働く父親は、家庭の中の誰よりも社会の様々な情報やシステムを知る存在として一目置かれていた。女房や子どもから「お父さんは何でも知っている」と思われていた時代だった。それがテレビの時代になると、女房も子どもも、それまで以上に社会のことを知るようになった。

 ところが、現在のようにインターネットやスマホを操って情報の発信・受信ができるソーシャルメディアの時代になると、状況は一変してきた。誰もが世界中の政治や経済、文化、歴史等々のあらゆる知識を知り、情報を集めることができるようになった。

 そうなると、日中働いている父親よりも女房・子どもの方が、スマホやパソコンの操作に長け、様々な知識や社会のシステムなどの情報を知る機会も増えてきた。先出のセルフレジの例もこの傾向に包含される類である。

 そこで、ジイジが孫より優れているのは何だろうと考えた。すると知恵という言葉が出てきた。「知識だけあっても知恵がなければ、世の中の道理を見極めることはできない」という考えも浮かんできた。知識を車に例えるなら、正しく運転する能力が知恵である。

 この知恵で勝負するなら、孫たちに負けないはずだ。加えて、「亀の甲より年の劫」という諺もある。わたしは揺らいでいる気持ちを無理に入れ替えようとしていた。

 ところが、本屋を出たところで孫娘たちが「ジイジ、ありがとう」と礼を言ってくれたのである。その瞬間、本来のジイジと孫に戻った気持ちになり、それまでのモヤモヤが一遍に吹っ飛んでしまった。