【街景寸考】紙風船のこと

 Date:2022年02月02日19時05分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 炭坑の景気が良かった昭和30年代、様々な行商人が行きかい炭住長屋一帯は活況を呈していた。金魚売り、八女茶売り、はったい粉売り、アサリ・シジミ売り、竹竿売り、風鈴売りなどである。

 これら行商人に共通していたのは、天秤棒を担いで道々を大きな呼び声で回りながら商うというスタイルだった。一方で、いきなりガラッと玄関の引き戸を開けて「こんにちは」と挨拶をしながら家に入って来る行商人もいた。「おきぐすり」の行商人である。祖母はこの行商人のことを「越中富山の薬売り」と言っていた。

 「おきぐすり」とは色々な薬の入った薬箱をあらかじめ消費者に預け、次の訪問時に服用した分だけの代金を回収するという販売方法のことで、今も続けられている。行商人と顧客の関係だったが、長年の付き合いの中で互いに親戚のような近しさを覚えていた。

 幼い頃の「おきぐすり」の行商人の記憶は、ハンチング帽を被り、たくさんの薬を入れた柳行季を大きな風呂敷に包んで背負っていた姿である。「越中富山」がどこなのか分からなかったが、祖母から聞いていた雪が積もる遠い北国という情報を頼りに、わたしはまだ見ぬ雪国を勝手に夢想していた。

 この「おきぐすり」の行商人が来ると、わたしは祖母の後ろにいながら大歓迎し、はしゃいだ。必ずいくつかの紙風船を手渡しで貰っていたからだ。年に1度くらいの訪問だったので、わたしにとっては日本型サンタクロースのような存在だった。

 紙風船は息を吹き込むと立方体にふくらみ、幼いわたしの手のひらにのるくらいの大きさになった。その表面には、緩やかな丘の上に建つとんがり帽子の時計台のある家と、その前に広がる原っぱで十数人の子どもたちが楽しそうに遊んでいる絵が描かれていた。絵の中には何か文字が書かれていたが、まだ意味が分からなかった。

 小学校の高学年になってから、これらの文字は「鐘の鳴る丘」という歌詞であることを知った。一番目の歌詞は、こうだ。

    緑の丘の赤い屋根      とんがり帽子の時計台
    鐘がなりますキンコンカン  メイメイ子山羊も鳴いてます
    風がそよそよ丘の家     黄色いお窓はおいらの家よ

 物心がついた頃からラジオでよく聞いていた歌だった。少年少女混声合唱団が明るく元気な声で歌っていた。

 後年、この歌詞が紙風船に描かれていた子どもたちを詠っていることを知ったとき、わたしは幼なじみに会ったときのような感慨を覚えた。更に、とんがり帽子の家が孤児院であり、紙風船に描かれていた子どもたちが戦争で親を失った孤児たちだったことも知った。

 近年、めっきりこの歌を聞くことがなくなったが、耳にしたときは瞬時に紙風船と炭住長屋に来た「おきぐすり」の行商人のことを思い出してしまう。