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【街景寸考】再び「夢」のこと
Date:2022年02月23日09時13分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
眠りから覚めたとき、見ていた夢を憶えている場合もあれば、忘れてしまう場合もある。
何の変哲もない夢は直ぐに忘れてしまうが、恐怖に怯えていた夢や、喜びに溢れていた夢は、目が覚めた後も脳内にしばらく漂っていることが多いようだ。恐ろしい夢は「夢なら早く覚めてほしい」と願い、喜びの夢は「夢なら覚めないでほしい」と願う。
わたしが時々見る悪夢がある。人を殺して追手にいよいよ追いつめられ、捕まってしまえば世間に顔向けができなくなり、人生のすべてを失ってしまうという恐怖に怯える夢であり、卒業間近になっても必要な単位が取得できておらず、このままだと母を失望させてしまうという絶望感に苛まれている夢である。
悪夢と言えば、蛇の夢もそうだ。狭い小道で蛇に出くわし驚いて飛びのくと、着地をしたところに数匹の蛇がたむろしているという夢だ。蛇の夢はここで終わらない。再び飛びのいた先に、何とまた蛇がたむろしているのである。こういう場面が繰り返され、しかも着地するたびに蛇が大きくなるさまに、たまらず悲鳴をあげて目を覚ます。
巨大自転車の悪夢もある。デパートの高さほどもある巨大な自転車に乗っているわたしが、バランスを失って地上に叩きつけられるかもしれないという夢だ。この夢は、バランスを崩して、地上に叩きつけられる寸前にいつも目が覚める。
吉夢も見る。お金を拾う夢だ。どこか田舎の道の端っこを歩いているときに、まず10円玉が落ちているのを見つけるところから始まる。思わず腰を屈めて拾うと、その傍にも雑草に半分隠れるようにして落ちている百円玉が目に入る。
もちろん、「おっ、百円も落ちている!」と喜び勇んで手を伸ばす。この百円玉を見つけるところで夢は終わらない。何とその辺りにも数枚、数十枚もの百円玉が散らばっており、その中に五百円玉も混じっているではないか。更にはその先にも。
そのうち、自ら疑心暗鬼になってくる。「こんなにお金が落ちているはずはない」と。この段階まで夢がくると、目が覚めてしまう。目が覚めた後も、残りのお金を拾えなかったことを残念がる浅ましい自分がいて、一人寝床で苦笑いをしている。
スーパーマンのように空を飛ぶ夢も見る。地面を走り、空中に向かって勢いよくジャンプをすると空に舞い上がるのだ。ところが、面白くて何度も飛び回っているうちに、空中に浮かばなくなり、この段階にきたところでなぜか必ず夢が覚めてしまう。
最近、母の夢を見た。久しぶりに見る母だった。割烹着を着て、生前いつもそうだったように、満面の笑みを浮かべて飯台の前に座っていた。まだ60歳代くらいの母だった。夢だと分かっていたので、少しでも長く母の姿を見続けていようと気を入れたところで、あいにく目が覚めた。切なかったが、吉夢だった。
「吉夢」は一番良いところで目が覚め、「悪夢」は一番怖いところで目が覚めるようだ。
どちらの夢も、同じような脳のカラクリなのかもしれない。