【街景寸考】「ウクライナ侵攻」のこと

 Date:2022年03月03日09時21分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 2月24日、ロシア軍がウクライナに突然侵攻した。既に死傷者が多く出ている。ロシアの軍事力はウクライナの10倍を超えており、世界一の核大国でもある。現在、ウクライナ側の徹底抗戦の模様が報じられているが、この後、戦闘が激化・長期化しないことをひたすら祈るばかりである。

 「兄弟のような国なのに、なぜ戦争をしなければならないのか」「この21世紀に、国境を越えて攻め込んでくるという現実が信じられない」「昨日まで平和な日常があったのに、なぜこんなことに」と逃げ惑いながら叫ぶウクライナの人々の姿が映し出されていた。

 今、ウクライナ国民は隣国ポーランドへ避難する人々や、防空壕や地下鉄駅構内で息を潜めて恐怖に耐える人々でごった返している。「わたしは一人なのよ。どこに逃げたらいいの!」と泣き叫ぶ年老いた女性の映像を観たときは、心に痛みが走り同時に気が咎めた。

 逃げ惑うウクライナの人々を観ていたら、「あのときも同じような状況だったのではないか」という思いが浮かんできた。あのときというのは、母に聞かされていた76年前の出来事である。突然、ソ連軍が満州に侵攻して何十万人もの日本人の生命・財産・日常を奪い、ソ連兵が略奪、虐殺、強姦等の蛮行を働いたときのことだ。

 満州侵攻とウクライナ侵攻に共通して言えるのは、戦争というにはあまりにも一方的なものであり、明らかにケンカの強い子が弱い子をやっつけるというような行為のことだ。誰が見ても、目を背けたくなる卑怯で残酷な行為だ。両国は民族や文化、言語においても兄弟のような国同士の関係にあるはずなのに、なぜこんな事態になる必要があったのか。

 米国の対応にも失望した。ロシア軍の侵攻が始まる前の段階から、経済制裁の予告はしながらも、軍事介入の考えがないことをバイデン大統領が発言していたからだ。バイデンのこの発言は、プーチンを侵攻への決断に導いてしまったのではないかと思っている。

 わたしは欧米側が軍事介入できなかったことを非難しているわけではない。ロシアの侵攻を食い止めるためには、核使用をチラつかせて恫喝するプーチンに負けないくらいの恫喝が、バイデンにも必要だったということが言いたかった。外交による抑止力とは、そういうことを言うのではないのか。

 ロシア軍の侵攻直後、ウクライナのゼレンスキー大統領は「ウクライナに力を貸してほしい。世界の強国は傍観しているだけだ」と悲痛な声で訴えていた。この映像を観ながらわたしは欧米側の対応に、何とも言えない不快感を覚えた。経済制裁をいくら強化しても、今この瞬間に戦闘地域にいる人々の命を一人として救うことはできないからだ。

 ロシア軍の進攻を止める手立てが見つからない中、唯一の救いは世界各国に反戦デモが広がり始めたことだ。反体制派の締め付けが厳しい当事国のロシアも例外ではない。今後、更なる反戦デモの広がりが、停戦に向けての重要な鍵を握ることになるよう願っている。

 今、プーチンが最も怖いのは、足元に押し寄せる民主主義という大波であるはずだ。