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【街景寸考】「ホーホケキョ」のこと
Date:2022年03月16日08時46分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「ホーホケキョ・・・ホーホケキョ・・・ホーホケキョ・・・」
早朝、澄みわたった空気の中から、ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。久しぶりに聞く鳴き声である。わたしは何度も繰り返される美しい音色に、しばらく耳を奪われていた。
わずかでもウグイスの姿を目に留めたいと思い、声のする方向を耳で探ろうとしたが、左の方向からのようでもあり、右の方向からのようにも思えたりして、結局、方角を絞り切ることができなかった。
色彩の美しい羽根を持つ小鳥はたくさんいても、ウグイスほど美しい声で鳴く鳥を、わたしは他に知らない。詩情を誘う鳴き声は、わたしの心を癒してくれ、未だ自分に残っていたと思われる清純な気持ちを、一瞬だけでも取り戻してくれたように思えた。
春の訪れを告げるウグイスの鳴き声は、山間部まで行けば聞くことができるのだろうが、幸いにもわたしが住む都市部の端っこにある住宅地でも、たまにではあるが今日のように聞くことができる。
ウグイスは用心深いと言われており、エンジン音や人声のするところで鳴き声を聞くのは難しい。この日は、よほど好条件が揃っていたのだろうか、こんなに鳴いてもらってもよいのだろうかと思うくらい、「ホーホケキョ」を繰り返していた。
実を言うと、わたしは本物のウグイスをちゃんと見たことがない。わたしが5歳か6歳の頃、祖父が小さな竹籠で小鳥を飼っていたのは記憶しているが、それがメジロだったのかウグイスだったのか思い出すことができない。メジロには目の周りに白い縁取りがあるのだが、そのことも覚えていない。
羽根の色も、どんなだったか浮かんでこない。濃い緑色ならメジロであり、渋い緑褐色ならウグイスだったのだが、それも記憶にない。ただ、なぜか分からないが、わたしの頭の中では、濃い緑色の羽根をしたのがウグイスだと記憶されてきた。つまり、子どもの頃からメジロとウグイスを一緒くたにしてきたようなのだ。
だから、ウグイスの鳴き声を聞くたびに、辺りに濃い緑色の羽根をした小鳥がいないかと見回してきた。実際のウグイスは、遠目にはむしろスズメとほとんど変わらないように見えるらしいのだが、このことを知ったのは最近のことである。
ウグイスが濃い緑色の羽根をしているという先入観を抱いてきた一番の原因は、花札の「梅に鶯(うぐいす)」の絵柄のせいだ。小学生の頃から花札をしていたわたしは、この絵柄が特に好きだった。その札に描かれているウグイスの羽根が、濃い緑色だったのである。
2羽のスズメが電線の上で睦まじく寄り添っている方に目を奪われている隙に、ウグイスの声は聞こえなくなっていた。それでも「ホーホケキョ」の余韻冷めやらぬ中で、わたしは十分に満たされていた。
わたしは力を込めて「さあ、春だ」と、心の中で叫んでいた。