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【街景寸考】「いかすじゃないか」のこと
Date:2022年04月13日09時14分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
昭和30年代から40年代にかけて、東京の若者を中心に「いかす」という言葉が流行していたように思う。「ように思う」と言ったのは、わたしが育った炭鉱町では「いかす」という言葉を使っているのを聞いたことがなかったからだ。
炭坑町にいたわたしがこの言葉を耳にしていたのは、当時大スターだった石原裕次郎や小林旭などが出演する映画の中だった。「彼、いかしているじゃない」とか「いかした野郎だぜ」というふうに、都会人らしい雰囲気を持っている若者を指して使っていた。
当時、小学生のわたしは「いかす」という言葉の意味が分からなかったが、映画のセリフの文脈から、「カッコイイ」とか「素敵」とかいうような意味であることは想像できた。言葉辞典では「相当なものである、なかなかいい、という意の俗語」であると説いているので、大方間違っていなかったことになる。
かつて低音の魅力で一世を風靡した歌手・フランク永井の「西銀座駅前」という歌があった。この歌の最も盛り上がる最後の歌詞の部分でも「いかすじゃないか」が使われていた。昭和33年に作曲された歌であり、歌詞の一、二番は次のとおりだ。
ABC・XYZ ABC・XYZ
これは俺らの 口癖さ そこのクラブは 顔なじみ
今夜も刺激が 欲しくって 酒には弱いが 女には
メトロを降りて 階段昇りぁ 強いと云った 野郎もいたが
霧にうず巻く まぶしいネオン 何処へ消えたか 泣き虫だった
いかすじゃないか 西銀座駅前 いかすじゃないか 西銀座駅前
この歌詞全体に表現された大人の心象風景を、子どもだったわたしが分かるはずもなかったが、この曲から流れてくる情緒的なメロディから大人の世界を感受し、その雰囲気に溶け込んで繰り返し歌っていた。小学3年生の頃だった。フランク永井の歌では、この他に「有楽町で逢いましょう」も大好きだったのでよく歌っていた。
大学時代は東京で過ごしたが、この頃はもう東京育ちの若者の間で「いかす」という言葉は使われていなかった。すでに流行遅れの言葉だったのだろう。もっとも、当時の東京で使われていたとしても、私の場合はこの歯の浮くような気障なこの言葉を絶対に使うことはなかったと思う。
やはり「いかす」というのは、石原裕次郎や小林旭が、あるいはフランク永井が映画や歌の世界で使うから様になる言葉なのである。わたしのような不細工な田舎者が使えば、ガチョウが「ホーホケキョ」と突然鳴いたときのような気色の悪さを覚えるに違いない。
それはさておき、「いかす」もそうだが、昭和の時代に使われていた言葉が廃語になっていることを知るたびに、若かった頃の自分の足跡までが消えていくようで、切なく寂しい。
時代に逆らって使っている言葉が、わたしにはある。「ハイカラ」である。「その服、ハイカラやんか」「これ、ハイカラやろ」というふうに。意地で使っている。