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【街景寸考】珈琲のこと
Date:2022年04月20日00時59分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
珈琲を初めて飲んだのは、小学6年生の家庭科の授業でカレーライスを作ったときだ。我が家では珈琲を飲むというハイカラな習慣がなかったので、級友から一杯分のインスタント珈琲と角砂糖2個を分けてもらったのを憶えている。
珈琲はカレーライスを食べた後に飲んだ。最初は息を吹きかけながら少しだけ飲んでみたが、角砂糖の甘さを除けばおいしいものでないことは直ぐに分かった。それでも級友たちと一緒に飲んでいる雰囲気が楽しくて、味のことは大して気にせず珈琲カップを口に運んでいた。他の級友たちも、わたしと同じような気持ちではなかったかと思う。
そう思ったのは、珈琲の味を楽しんでいるように思える生徒も、日頃から珈琲を飲み慣れている生徒がいるようには思えなかったからだ。むしろ、「角砂糖をたくさん入れたら飲めるぞ」「お湯で薄めれば苦くないよ」という声があちこちから聞こえていた。
わたしが暮らしていた当時の炭坑町の人々に限って言えば、子どもはもちろん大人の間でさえ好んで珈琲を飲む者はほとんどいなかったと思う。おんな子どもはもっぱら番茶を飲み、坑夫は食前食後に酒か焼酎を飲んでいた光景しか浮かんでこない。「食後の珈琲」をたしなむような粋人がいるようには、とても思えなかった。
言うまでもなく、炭坑町には一軒の喫茶店もなかった。珈琲といえば、テレビで宣伝していたインスタント珈琲のことしか知らなかった。従って、この町の人々は、炒った珈琲豆を粉にする挽き機を見たこともなければ、粉にした珈琲をろ過するドリッパーも見たことはなく、ろ過された珈琲を飲んだこともなかったはずだ。
ところが大学時代を東京で過ごすようになると、学友と会えば「さてん(喫茶店)に行こう」とか「珈琲でも飲もうか」というのが習慣になっていて、何かと言えば喫茶店に出入りしていた。初めて飲んだ本物の珈琲は、とてもわたしの口に合うものではなかった。それでもチビリチビリ飲みながら、いつも学友と長い時間だべっていた。
サラリーマン時代、一人で喫茶店に入ったときは珈琲ではなくココアを注文することが多かった。珈琲を飲むときもあったが、苦みの少ないアメリカンを注文していた。しかし、仕事の出先などで上司から「コーヒーでも飲もうか」と誘われたときは、「わたしはココアで」とは言えず、いつも上司に合わせて無理をしながら飲んでいた。
「珈琲でも・・」という上司の言いぶりは、珈琲の嫌いな人はいないだろうという思い込みからくるものだった。わたしは平然を装いながらも仕方なく上司に合わせてきたが、そういうふうに媚びる自分が嫌になったり悔やんだりしていた。
「ラーメンでも食おうか」も「珈琲でも・・」と同じである。これもラーメンの嫌いな人間がいるはずはないという勝手な料簡から発せられる言葉だ。博多のラーメン店はほとんどが豚骨スープである。豚骨スープが大嫌いなわたしは、この誘いを受けるたびに心が萎えた。そうかと言って、とても上司に「わたしは餃子定食で」とは言えなかった。
隠居生活の今、お陰さんで珈琲も豚骨ラーメンも口にすることはない。