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【街景寸考】差別のこと
Date:2022年11月11日15時55分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
漠然と差別のことを考えていたら、石器時代の人々の光景が浮かんできた。この時代は狩猟や採集で得た食べ物を公平・平等に分け合うという暮らしなので、格差というものがなく、従って差別のような問題もなかったのではないかと思ったからだ。
格差が生じてくれば、その関係に不当な差をつけようとする動きが出てくる。差別である。
時代が進むにつれ経済活動が活発になり、経済力で明らかな格差が生じるようになった。財を持つ者は権力を手にし、権力を持つことで更に財を増やした。そして権力者は階級制を敷くようになり、民を不当に見下すようになった。
この見下すという上から目線が、様々な差別の元になっているように思う。差別には人種差別や男女差別、学歴差別、職業差別、部落差別などがあり、身体的能力や知的能力への差別も根っこは同じようなものだ。この場合の根っことは、人を見下すという上から目線の感情のことである。
人を見下すという感情は、生まれたときすでに具わっている先天的なものなのか、あるいは生まれた後に環境などの影響によって生じる後天的なものなのかよく分からない。もし後天的なものだとするなら、人間の知力を結集して社会から差別をなくしてしまう不可能はゼロではないはずだ。
事実、20世紀になってから貧富の差のない公平・平等な社会を目指そうとする国が出てきた。旧ソ連や中国、北朝鮮などがそうだ。ところが実際は公平・平等な社会とはほど遠い権威主義国家へと向かい、権力側にいる恵まれた層と権力に抑圧された大多数の人民とに二極化する体制になった。
もっとも、わたしが暮らしているこの資本主義社会の日本においても、自由と人権は保障されてはいるが、格差によって生じる様々な差別の現実を抱えている。
かつては日本でも共産制を目指した人々がいた。大正時代、作家・武者小路実篤とその同志である。「お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる理想郷」を理念に掲げ、「新しい村」と呼ぶ共同体を宮崎県に開村したのである。自給自足をする小さな村である。
「新しい村」の最盛期には50人を超えていたようだが、現在(2018年)は宮崎で3人、埼玉で8人が暮らしているという。経緯の詳細は知らないが、昭和、平成、令和の激動する時代の変化に抗いながら100年近くもこの理念を貫いている人たちがいるというのは立派としか言いようがない。
そういえば、武者小路実篤の格言集にこんな言葉があった。「色というものはお互いに助け合って美しくなるものだよ。人間と同じことだよ。どっちの色を殺しても駄目だよ。どの色も生かさなければ」。人権を大事にする言葉であり、様々な差別を憎む言葉でもある。
どんな政治体制であっても、この言葉を掲げる社会であってほしい。