【街景寸考】「興ざめした塀」のこと

 Date:2022年11月28日09時51分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 産炭地で生まれ育ったわたしは、少年期まで周囲に炭住長屋が建ち並ぶ一帯で過ごしていたので、普通の一戸建ての家を目にすることはほとんどなかった。

 もちろん、祖母に連れられてよそ行きをしたときなどには一戸建ての家々を目にしてはいたが、それらを「住まい」としてではなく単なる風景として眺めていただけだった。

 ところが小学3年生のとき、一戸建ての家を炭住長屋と同じ「人が住む家」として意識し、その住み心地の違いを想像しながら眺めていたことがあった。

 その家は学校に近い通学路の途中に建てられた新築の二階家で、当時では珍しく洋風に造っていた。屋根は真っ青に光る洋瓦が葺かれ、外壁は鮮やかな白で塗装されていた。玄関ポーチは童話の絵本に描かれているような空間に設えられていた。

「こんな家に一度でよいから住んでみたい」。この家の前を学校の行き帰りに通るたびに、そんな思いをしながらわたしは何度も振り向いては眺めていた。

 ところが間もなく始まった外構工事で、あろうことか1階部分がすべて隠れてしまうほどの高いブロック塀ができ、刑務所の鉄格子を思わせる冷たい門扉が設置されたときは、わたしはいっぺんに興ざめしてしまった。特にブロック塀の上に敷き詰めたビンの破片を見たとき、愕然としてしまった。

 その細工が「泥棒よけ」のためであることは直ぐに理解できたが、まだ小学3年生だったわたしには非情な要塞のように思えた。そのビンの破片を見ながら、わたしはこの家の住人の人となりを垣間見たような気がしたのである。端的に言えば、「心の尖った住人たちの家」なのではないかと勝手に想像していた。

 要塞風の門扉と塀に囲まれたその様子は、それまで羨むほどに思っていた家が、辛くて息苦しそうな表情に見え、悲しそうな暗い表情にも見えた。不思議なことに、わたしは後にも先にもこの家の住人と誰とも顔を合わせる機会はなかった。

 その後、塀に有刺鉄線を張った家も見たことはあるが、昨今ではこうした要塞風の家も見なくなった。実際、平成に入ってから見た記憶はほとんどない。とはいえ、住居侵入による窃盗犯罪が少なくなってきたというわけでもない。ホームセキュリティの普及なのかと思ってみたが、普及率が3%程度ということなのでほぼ関係がないことが分かった。

 色々と考えたが、やはり見てくれが一番の問題だったように思えた。思うに、小学3年生の当時に抱いたわたしの感情は、世間も同じだったのだろう。

 つまり、要塞風に細工したとげとげしい塀の住人に対して、「排他的な性格の人」「猜疑心の強い人」「心の尖った人」「美的センスがまるでない」などの負の評価をするようになってきたのではないかと考える。

 もっとも、要塞風の塀がなくなったことにより、住居侵入による窃盗犯罪が増えてきたのかどうかまでわたしは知らない。