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【街景寸考】「足組みができなかった」のこと
Date:2022年12月15日13時48分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
多くの人ができることなのに、自分にはできなかったことがたくさんある。座席に腰を下ろしたときに足を組めなかったというのも、その一つだ。
足を組んでいる人の姿を初めて見たのはテレビだった。昭和30年代から昭和40年代にかけてNHKで放映されていた「ジェスチャー」という番組内でのことだった。
ジェスチャーとは、身振り手振りで何かを伝えるという意味だ。スタジオで男性陣4人と女性陣4人に分かれ、クイズの正解をジェスチャーで競うという番組だ。この番組を観ていたわたしは、まだ小学生ではあったが、並んで椅子に座っている女性陣の足に目が何度も勝手に行ったのだ。
なぜかと言えば、両足を斜めに揃えている姿が珍しく思ったのである。中でも膝を交差させて器用に両足を組んでいる女優さんに目を留めていた。他の女優さんたちが傾けている両足も美しく見えたが、膝と膝を組んでいる女優さんの方に一層の品位を感じ、合わせて気の強さのような雰囲気を感じたからかもしれない。
以後、わたしは駅舎の待合や汽車の中で足を組んでいる人がいると、目ざとく見て取っていた。そして、そうした人たちにもやはりどこか品のようなものを共通して感じていたのである。そういうふうに感じたのは、わたしが生まれ育った産炭地・筑豊ではあまり見かける光景ではなかったからかもしれない。
ところが、進学のため東京に行ったわたしは、当初、電車の中で足組みをしている人の多いことに驚かされた。同時に、その光景から都会人らしい教養の高さや上品さのようなものも感受していた。その印象は的を射ていたかどうか分からないが、わたしの劣等コンプレックスからきたものだったのは言うまでもない。
それからというもの、わたしは外見だけでも教養と上品さがあるかのように装おうと、電車の座席や公園のベンチなどに腰かけたときは足を組んでみようと何度も挑んでいた。ところが、これが意外にも一筋縄ではいかないことが直に分かった。
まず膝と膝を交差させることができなかった。交差ができないので、せめて重ねるだけでもと努めたが、瞬間的にはできても乗っけた膝が直ぐに元の場所へ滑り落ちた。滑り落ちないようにするには、乗っけた膝に相当の力を加えなければならなかった。すると直ぐにふくらはぎが強く痛み、数秒も続けることができなかった。
それでも数年間は挑んでいたが、結局は諦めた。わたしの場合、足を組むには腿もふくらはぎも太すぎるので、土台無理だったのである。加えて、足も短いときている。
諦めてからは、足首をもう片方の膝の上に乗せるだけにしてきた。丁度、大工の棟梁が一服するときのような格好になる。リラックスはできるが、本意ではない。
足を組んでみたかったというわたしの見栄は、古希を過ぎた今もないことはない。昨今は以前と比べ腿もふくらはぎも細くなったので、たまに人目を忍んで挑むことがあるが、やはりできない。無念である。