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【街景寸考】本当に「虐待保育士」なのか
Date:2022年12月23日11時46分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
静岡県裾野市の「さくら保育園」で1歳児を受け持つ女性保育士3人が、園児に暴行を加えた疑いで逮捕されるという事件が報じられた。テレビ各局はこの事件をニュース番組だけでなく、ワイドショーでも連日大きく時間を割いて取り上げ、「虐待保育士」という大きな字幕を掲げて実名と3人のアップした顔を晒し続けた。
「虐待保育士」という表現はいかにもメディアが事件を煽るために使いそうな言葉だが、同市もこの事件を発表する際に「信じられないような悲惨な虐待があった」という表現を使っていたことを知り、驚いた。それにしても、この3人の保育士の行為のことを「悲惨な虐待」という表現はあまりにも大袈裟であろう。
「悲惨」とは「見聞きに耐えられないほど悲しく痛ましいさま」のことであり、「虐待」とは「残酷で惨たらしい行為」という意味である。加えて、厚生労働省では児童への身体的虐待のことを「殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、溺れさせる、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、縄などにより一室に拘束するなど」と定義している。
このようにあらためて「悲惨」や「虐待」の意味や定義を見てみるに、同市にしてもメディアにしても、せめて「不適切な行為」あるいは「問題行為」という表現に留めてもよかったのではないか。被害にあった児童の保護者の身になってみても、保育士たちの16項目の行為を「残酷でむごたらしい行為」だと決めつけるにはやはり抵抗を覚えるのは、わたしだけではあるまい。
3人の保育士をかばいたいという思いはない。ただ、「さくら保育園」に我が子を通わせている一部の保護者の間では容疑者は「本当に優しい方」「園長の刑事告発はやりすぎ」という声も少なくなく、公表された16項目の行為のどれもが毎日繰り返されていたとは思えず、通念上許容できる軽度のものも多々含まれているように思えるのである。
このわたしの思いは見当違いであり、保育士たちの実像は鬼か蛇のような残酷な一面も具えていた人間なのかもしれない。しかし、それが事実であったとしても、一方でいかにも正義の味方ぶって保育士やその家族が精神的に追い詰められていることを知りながら、必要以上に世間を煽って視聴率を稼ごうとするメディアの賤しさを責めないのはあまりにも不公平ではないか。
これまでメディアのこうした賤しい姿勢に、幾度となく腹が立ち、失望させられてきた。特に民放のワイドショーは見るに堪えないときがある。事件を煽りに煽り、視聴者がその話題に飽きてきたタイミングであたかも禊が済んだかのように見限り、次のネタへと群がっていくのがメディアの常である。まるでハイエナのようである。
安部元総理の銃撃事件で明らかになった旧統一教会の悪質な霊感商法に対しても同様である。
高額献金の被害はずっと今日まで続いていたのに、メディアは見て見ぬふりをしてきた。「モリカケ・サクラ問題」も同様だ。特に「森友問題」での公文書の改ざんや廃棄は卑劣極まりない。時の政権への忖度に巻き込まれて一職員が犠牲になっているというのに、今では知らんふりである。
「虐待保育士」を小さな事件とは言わないが、もっと煽り、焙り出すべき事件や問題が多々あるはずだ。メディアには本来の役割・使命を自覚してもらいたいとつくづく思う。