【街景寸考】再び「カミさんの買物」のこと

 Date:2023年03月13日18時35分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 週2回ほどカミさんとスーパーマーケットや農産物直売所へ買物に行っている。車の運転とショッピングカートを押して付き従うのが、わたしの主な役目だ。

 カミさんと連れ立って買物に行くのは気分転換になって良い面もあるが、長々と要領の悪い買物をする様子を見ていてもどかしく思うことがしばしばある。この思いは以前も小欄でダイコンを例にして書いたことがあった。

 うず高く積まれたダイコンを前に、わたしであれば大きさやかたちの良し悪しを見て直ぐに特定するところだが、カミさんの場合はそうではない。まるで何かの研究者のような目をしながら、下に隠れているダイコンまで取り出して注意深く吟味する。他の生鮮食品や加工食品の類も、同じように吟味するのを常としている。

 先日、この不毛とも思える吟味の様子を見かねて突っ込みを入れてみた。案の定、一悶着起きた。パック入りの豆腐を陳列している売り場だった。どう見ても同じパック入りの豆腐にしか見えないので、わたしならわざわざ足を止めることもなく必要な個数を買い物かごに放り込むところである。

 ところが、カミさんは立ち止まって豆腐の陳列棚と正面から向かい合った。「どこをどう吟味するというのだ」。わたしは心の中で叫んでいたが、声なき声はカミさんに届くはずもなかった。しばらく経ってもまだ1個も選ぶことができずにいるので、たまらず「どれも同じやんか!」と声を出してしまった。声が上ずっていた。

 意外にもカミさんは冷静な口調で切り返してきた。その言葉を要約すると、「(豆腐屋で)パックの大きさに切り分けるとき、(当然ながら)端っこは少し厚みがあって崩れ難く、厚みのある分だけ分量も多くなる。大半の人はそこに気づかずにいる」という内容だった。

 そこまで吟味しているのかと、思わずわたしは感心してしまった。しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。男の意地というものがある。「それくらいの分量は、おれが箸でつかみ損ねてテーブルに落としたぐらいの程度しかないやないか」と言い返した。そしたら、ここでカミさんは切れた。もっと他の理由はあったらしいのだ。

 「そんなに言うんだったら自分で食事を作ったら!」ときた。切り札として出すときの言葉だった。わたしは無言のままカミさんの後からカートを押すことしかできなかった。

 静かにカートを押しながら、わたしは憤っている感情を収めるために別の視点からカミさんの買物を見詰め直してみようと努めた。すると、要領が悪く見えていたカミさんの買物が、実は長い主婦経験を積んで得た品質の見極め方であり、ひとえに家族のことを思えばこその要領であるように思えてきた。
 
 たかが買物のことではあるが、カミさんにとっては「されど」なのだろう。

 もっとも、コロナ禍であるとはいえ前列に置いてある商品は衛生的ではないという理由から、後列の方の商品に手を伸ばしている光景は、あまり見てくれの良いものではない。