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Date:2023年10月03日13時40分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
これから物語が始まろうとする映画やドラマの導入部分で、都会の雑踏を俯瞰した映像が映し出されることがある。この雑踏がサバンナなどに見るバッファローやシマウマの大群であれば壮観に見えるのだろうが、なぜかヒトが群れに群れている光景はどこか気味の悪い集合体のようにわたしには見えてしまう。
バッファローやシマウマの群れを見ても何の違和感も覚えないのは、大群になることによってライオンやチーターなどの肉食動物から命を守ろうとする草食動物の自然の摂理に従った光景だからなのかもしれない。
一方、ヒトの場合は通勤・通学のラッシュアワーの電車の中や野外ライブなど、それぞれの事情によって群れになっているだけのことだと言える。しかし本来は心理的な縄張りを越えて他人が接近してくることには不快感や嫌悪感を覚えるのが人間だと思うと、どうしてもヒトの群れを自然な光景として眺めることができないのである。
ところが面白いことに、気味悪く見えていたヒトの群れも徐々に個々の顔が見分けられるところまでカメラを近づけると、今度は一人ひとりの容貌や表情に目を惹かれるようになり、わずかながらでも他人の人生を覗き見してみたいという感情に駆られるのである。
NHK-BSの「ガイロク(街録)」という番組を観ていたときも、これと似たような気持ちになった。この番組は、街頭を行き来する人々にマイクを向けて、たまたまインタビューに応じてくれた人に人生のピンチやハプニングの経験を告白してもらうというものだ。
偶然その時間帯に街頭を歩いていただけの通りすがりの人なのに、話を聞いているうちに、その人の境遇や体験、人間性などの一端に触れると、次第に赤の他人とは思えないような気持ちになってくる。同時に、その人が体験した苦しみや悲しみ、後悔、喜び等が切に伝わってくることで、偶然の連続によって成り立つ人生の不思議さを思うのである。
他にも他人の人生模様を垣間見ることができる番組がある。「ドキュメント72時間」(NHK-ТV)という番組だ。定点観測的な撮影と取材で、「とある場所」にやって来た人々に話を聞くというものだが、心を揺さぶられることも少なくない。
わたしたちは、犯罪者がどういう人生を歩んできたかを調査する立場にある検事や弁護士、裁判官は別として、このような番組を通してしか部分的とは言え他人の人生を知り得る機会はほとんどない。
しかし、野次馬根性からなのか、のぞき見趣味からくるものなのか分からないが、人々のそれまでの人生がどのようなものだったのかを知ってみたいという気持ちがわたしにはある。例えば、近所の人や職場の同僚たちがどんな紆余曲折経て今に至っているのか、どんな荒海を乗り越えてきたのか、というようなことだ。
思うに、他人の人生を知ってみたいという気持ちの底流には、偉そうに言えば同時代を生きる人々をどこか愛おしく思う気持ちが潜在的にあるからではないか。
ともあれ、懸命に生きている人々の笑顔に乾杯!