【街景寸考】もうろくか天罰か

 Date:2024年01月17日15時44分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 古希を過ぎた辺りから「もうろく爺さん」を演じてみたくなった。「もうろく爺さん」を演じるには、周辺にいる人たちが優しく接してくれそうな場面でなければならない。

 演じているという後ろめたさはあるものの、期待どおりの反応をしてもらうと嬉しくなり、演じることの面白さも味わうことができる。

 例えば、信号機のない横断歩道を渡るときなんかは演じやすい場面の一つだ。近づいてくる車に気づかないふりをしながら、一歩前へ踏み出すのである。歩行者優先のルールがあるので、大抵の運転手は車を止めてくれるだろうという計算あっての行動だ。

 とは言うものの、どの車も止まってくれるわけではない。わたしの方に気づいていても気づかないふりをする運転手や、信号機のない場合は車の方が優先であるかのように平然と通り過ぎて行く運転手もいる。こんな類の運転手であるかどうかを的確に、しかも瞬時に見極める必要がある。

 話を戻す。車が横断歩道の手前で止まってくれたところで、わたしはいかにも弱っている足腰をかばうがごとくにヨロヨロと進み出る。加えて、焦って渡ろうとしている表情を作っていなければならない。

 そうすると間違いなく運転手から同情心を買うことができる。その同情心を買いながら悠々と横断できるというわけだ。

 ところが先日、演じたわけでもないのに、「もうろく爺さん」に見間違えられるという屈辱的な扱われ方をされたのである。

 その顛末はこうだ。前の晩から咳が止まらなかったという自宅の近くにいる4歳の孫を医院に連れて行くことになった日のことだ。受診の順番取りを記入する用紙の氏名欄に、孫の名前を書かなければいけないのに自分の名前を書いたのである。間違いに気づき直ぐに書き直したつもりだったが、今度は肝心の孫ではなく孫娘の名前を書いたのである。

「あっ、また違った」と叫びながら再々度書き直したものの、三人分の名前を書いたことになるので字は氏名欄を大きくはみ出していた。この時点で看護師の表情から愛想が消えていた。眉間に皺も寄っていた。

 ところが、わたしの失態はこれだけでは終わらなかった。連絡先欄に記入すべき携帯電話の番号も書けなかったのだ。自分に電話をすることがないので知っているわけがなかった。この時点で看護師はわたしのことを「もうろく爺さん」だと確信したような顔色に変化していた。というより、露骨に厄介者扱いをするような態度になっていた。

 わたしとしては、これらの失態がもうろくによるものではなく、性格から生じたものであるということを弁解したかったが、そんな余地を与えてもらえる空気感はなかった。

 後日、この日のことを反芻してみた。そして思った。これらの失態は、実はもうろくしている部分もあったのではないかと。あるいは「もうろく爺さん」を演じる自分に対しての天罰だったのかもしれないというふうにも思った。