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【街景寸考】「紅白」に期待したいこと
Date:2013年02月06日09時02分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
今年の大晦日も紅白歌合戦を観た。観たというより、ただ映していただけである。「紅白のある大晦日」に特別こだわっているわけではないが、毎年そうなってしまう。そうなってしまうのは、小さいころから紅白を観ながら家族と共に過ごした大晦日の記憶が大きく影響しているようだ。
しかし、近年の紅白はつまらなくなった。まるで紅白がタモリの「ミュージックステーション」が大半を占拠したかのように見えるのだ。普段の日はそれでいいとしても、神妙な気持ちになって新旧1年の境に立つ大晦日の風情を無神経に壊されていくようで、気持ちが暗くなってしまう。だから、「ただ映しているだけ」の大晦日になる。
紅白がつまらない理由がもう一つある。以前から思っていたことだが、男と女のプロ歌手同士が集団で「歌合戦」をするということの意味の無さだ。このことは当のNHKも歌手たちも分りながらやっていることだが、「合戦」の名が付く以上、心にもない応援合戦を演じ続けなければならない辛さはあるはずだ。視聴者の方も、勝敗に関心を持っている者は誰もいない。その白けを皆で知らぬふりをしているという意味では、それぞれが共犯関係にある。
この無意味さや白けさを超える力が以前の紅白にはあった。その力とは、まだ戦後の焼跡が残る中で懸命に再建を目指していた人々に与えてきた元気や希望であり、経済的な幸せを築き始めた高度成長期に人々に与えてきた未来への夢や憧れである。国民は赤組、白組に関係なく、華やかに登場する歌手たちに拍手、喝采した。
今の紅白にそうした力はない。時代を共有するという一体感が薄れ、薄れてきた分、「歌合戦」の無意味さが透けて見えるようになってきた。NHKもそのことを察しているらしく、最近は派手な応援合戦を控えるようになった。しかし、くどいようだが「歌合戦」の名が付く以上はそれに縛られ、大きく演出を変えることはできない。
歌の競い合いを本当にするのであれば、予備選を戦い抜いてきたプロの歌手やアマチュアの歌手が男女入り混じり、日本一の歌手を選ぶという大会にしたらいい。ジャンル別に競うのもいい。大晦日の風情に比重をおくのであれば、これまで通りの「紅白歌合戦」でいいから、矢沢永吉や「ヨイトマケの唄」を歌った美輪明宏氏のような、本物のエンターテナーを集めたものにしてもらえればありがたい。
「ただ映しているだけ」の紅白では大晦日が淋しい。これが年寄りの愚痴であることは百も承知である。