【街景寸考】わからないことばかり

 Date:2013年07月17日10時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 今朝、今夏初めての蝉の鳴き声を聞いた。朝のテレビで梅雨開けを報じていた。蝉が梅雨開けを教えてくれるのだと思った。しかし、なぜ蝉は梅雨が明けたことがわかるのか。梅雨期の谷間に晴れ間が続いても蝉は鳴かない。天気に騙されてもよいのにと思うが、一匹も鳴かない。梅雨が開けてからしか鳴かない。そのときは一斉に鳴く。なぜだろうと思い、自然の不思議を感じてしまう。

 人の世も自然界と同じようにわからないことが多い。例えば、「なぜ」いつもカルガモ親子は一列縦隊で移動するのか、同じデッドボールなのに「なぜ」高校野球の投手はバッターに謝り、プロ野球では謝るどころか無視したような無礼な態度をとるのだろうか、ゴールデンウィークに観光地に行けば必ず大渋滞に巻き込まれるということがわっているのに、「なぜ」車で毎年出かけようとするのか、「なぜ」給料が減っていくようになるとカミさんが強くなっていくのか、等々である。まだある。「なぜ」女性の鼻毛は長く伸びないのか。

 くどいが、もう一つ。先日、出勤途中で急に雨が降ってきたときのことだ。髪の毛が尽きてしまっている初老の男が、頭をハンカチで覆いながら小走りに駆けていた。濡れる髪の毛がないのに「なぜ」だろうと思った。

 後日、このことを野球の仲間たちに酒の肴にして聞いてみた。すると、ハゲ山から雨が勢いよく流れて目に入るからだと説く者がいた。汚い埃が雨に混じっているので頭を汚したくなかったのだと説く者もいた。この疑問そのものがその男性に対して失礼だと言って私をなじる者もいた。

 世の中わからないことばかりである。しかし、わからないということがわかってくると、世間が面白いと思うようになってきた。生活に香辛料が調味されたような味わいを覚えてくる。自分の経験則に偏って物知り顔で生きている人がときどきいるが、「裸の王様」状態に酷似しており、大変気の毒に思う。地球規模、宇宙規模で拡げれば尚更人間はこの世のことを何も知らないに等しいということがわかる。