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Date:2013年09月11日10時17分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
30歳を前にしたころ無職になった。結婚をする直前のことだった。無職になったその日に、スポーツ新聞の求人欄で急募していた運送会社に電話をかけた。ありがたいことに履歴書をもって翌日事務所に来るようにということになった。歯切れがよく、言葉のどこかにぬくもりを感じさせる年増女性の声が受話器を通して聞こえてきた。
中央区清川にその運送会社はあった。民家風の古い平屋建てだったので、そこが事務所だということが直ぐに分らなかった。事務所の入口から土間になっていて、土間から上がった狭い板間のところに1台の事務机がおかれていた。その前で女性が忙しそうに事務を執っていた。受話器から聞こえた声と同じ声だった。
土間は梱包の作業場になっていて、3,4人の男達が働いていた。彼らはその女性を「女将さん」と呼んでいた。事務所全体の雰囲気から「下町情緒」を演出する映画のセットを観ているような気がしていた。面接は、事務所奥の自宅部分につながる四畳半の部屋で行われた。いかにも律儀そうな「大将」と呼ばれていた社長が対応し、雇ってもらえることになった。仕事は、エレベーターの部品や医療機器などをトラックで運ぶのが主だったが、土・日は引越しの仕事も入ってきた。
引越しの仕事をとおして、私は人間の面白い一面を知ることができた。荷物が軽トラック1台で足りるくらいの高齢の客層は、「少ないけどタバコ代にでもしておくれ」と言って引越し代とは別に心付けをくれる傾向があった。途中でジュースを出してくれるのもこの人たちだった。ところが、4トン車でもはみ出すくらいの家財道具を持ったお客の層は違った。水一杯出そうとはしなかった。ここでこうした事実を暴露することに他意があるわけではない。その明確な違いが面白かったというだけである。
話を戻す。この運送会社で1年間働いた。数年前、大将からの電話で女将さんが癌で亡くなっていたことを知った。その日の夜、カミさんと一緒にお参りに行った。会社は長男がしっかりあとを継いでいるようだった。仏壇には明るく元気だったころの女将さんの遺影がおかれていた。亡くなってからも周りに気遣ってくれているように見えた。ここの家族とは一生の付き合いになっている。