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【街景寸考】成人の日に思う
Date:2014年01月15日10時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
成人の日が祝日になったのは戦後のことである。戦前は二十歳を迎えて祝うという慣習も儀式もなかった。遠い昔は元服というのがあった。これは公家や武士階級のための儀式であり、庶民とは無関係なものだった。しかも十五歳くらいの男子のみの儀式である。成人の日はこれにちなんでいるようにも思える。
成人の日への国民の意識もしばらくは低かったが、休日が増えたという喜びもあり、徐々に意識されるようになった。人々の生活に余裕が出始めたころから成人式は派手になった。特に新成人になった女性たちが、この日に競うように着る振袖と真白いショールは華やかさがある。
男子の方はどうか。式場の内外で酒を飲み、騒ぎ、わめく。式を破壊する乱暴者もいる。一部の男子の所業であるが、成人式を取りやめる自治体が出てきた。成人の日そのものの意義を失っているように思えるからだ。二十歳になった連中のために税金を使って同窓会を開いてやっているように見えてしまうようになった。
こうした自治体側の気持ちは分からないではない。しかし、新成人側にも言い分はある。式場では大層な肩書のおっさんたちが登場して、面白くもないありきたりの「祝辞」を長々と聞かされるだけだという言い分である。主催者側にこそ責任があると言えなくもない。
さて、自分の成人の日はどうだったか。確か、ぐうたらな大学生活をしていた。その日は成人式に行くことも忘れ、夕方になってそのことに気が付いた。何か抱負を持たなければならない気分になった。最初に「少年よ、大志を抱け」という文句が浮かんできた。浮かんできたが、「少年」向けの格言だったので取り消した。
結局、「たばこは2日で1箱にする」とか、「なるべく成人向け映画ではなく名作映画を見に行く」などを掲げてみた。二十歳の若者にとって「成人の日」を迎えるというのは、その程度のことでしかないように思う。
中卒、高卒で社会人となり、二十歳を迎える前から大人としての自覚をもって立派に生きている若者はたくさんいる。二十歳で区切り、「成人の日」を設けて祝うことの意義がどこにあるのか未だに分からない。