【街景寸考】新聞配達の思い出

 Date:2014年07月16日10時28分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 東京の国分寺市で新聞配達をしたことがあった。配達は慣れてくると、いちいち配達先を意識しなくても、考え事をしていてもしていなくても、勝手に身体が動いてポストに入れることができるようになる。もっともこれは一般的な話であって、私の場合はなぜか不配の癖を直すことができなかった。小学校時代、通信簿に「おっちょこちょいの性格あり」とよく書かれていたが、この性格と新聞の不配は密接な関係があったように思う。

 不思議なことに不配先は、いつも同じ家ばかりだった。40数年経った今もそのお宅の名前を忘れないでいる。斉藤さんだ。この不配については社会人になってからも済まないという気持ちがどこかに残っていたらしく、お詫びをする夢を何回か見てきた。

 配達区域に日立武蔵工場があった。ある日、その工場の周辺を配達していたら、ランニングをする一団を見かけたことがあった。みんな背が高くてがっちりした体格だった。てっきり男たちの一団だと思っていたら、何と女性たちの一団だったので驚いた。着ているユニフォームから日立女子バレー部の選手だということが分かった。すれ違い様にもう一度彼女たちを見てみたら、どの顔も小さくて可愛らしかったので、また驚いた。

 雨が強く降る日に起きるのは気が重かった。そんな雨の日に罪な振る舞いをしたことがあった。その日は土曜日だったのでチラシの枚数が多く、新聞は普段より分厚くなった。その新聞を自転車の荷台に積み上げていたら、突然バランスを崩してハンドルと前輪が大きく半回転したのだ。やばいと思った次の瞬間、自転車は音を立てて横倒しになり、雨が降りそそぐ道路上に新聞が雪崩のように崩れた。ここまでは仕方がなかったが、この次の自分の行動が問題だった。

 私は、道路上で散らばらずに小さな山になっていた新聞の束を、思い切り蹴とばしたのだ。急激に溜まったマグマが直ぐに爆発し、足が勝手に動いたという感じだった。自分でもその行動が理解できなかった。4分の1くらいの新聞が使い物にならなくなっていた。相当自分を悔いてきた出来事だったが、なぜかまだこの夢を見たことがない。

 新聞配達をしている間、幸せな気分になったこともあった。配達先の東京武蔵野から遥か遠くに富士山の真っ白な部分だけだったが、微かに見ることができたことだ。空気がよほど澄んでいたらしい。以上、新聞配達のときの印象に残った思い出である。