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【街景寸考】「人がいい」と言われる人
Date:2014年09月03日09時27分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
自分の人生の近くに「人がいい」と言われる人たちがときどきいた。今もいる。この場合の「人がいい」とは、人から頼まれたらイヤと言うことができず、言いたいことがあっても言えない人たちのことだ。更に言えば、他人との争いを最も嫌い、常に周りにいる人たちを気遣い、気を配っているような人たちだ。
「人がいい」人は、強引な訪問販売員が相手のときでも気を遣う。販売員が売り込もうとする商品の説明を嫌な顔一つせず聞き、最後は断れずに買ってしまったりする。買わない場合でも長々とその説明に付き合っている。買ってやらないと販売員が気の毒だと思っているからだ。
私なんかは、訪問販売であろうが電話セールスであろうが、強引商法の手口だと分かれば端から説明を聞くようなことはしない。直ぐに戦闘モードに入り、撃退するようにしている。そのことで販売員を気の毒だと思うことはない。「目には目を」という気持ちがあるからだ。
相手を褒めようとする点でも「人がいい」人たちに共通している。自分を卑下しているせいか、周りにいる人たちが自分より優れているように見えるので、そうなるようだ。ただし大げさな褒め方はしない。控えめに褒める。人は大げさに褒められるよりも、控えめに褒められたときのほうが確かに嬉しい。本心で言われたように聞こえるのだ。
他人の悪口も決して言わない。悪口は品性に欠ける行為だからだ。災いのもとにもなるという心配もある。遠慮をする点でも共通している。大皿の料理を取り合って食べるとき、決して最初に箸を付けない。皿に残った一個も死んでも食べない。何事にも辛抱するので、ストレスも多く抱え込んでいる。
日本人にはこういう「人がいい」と言われる人たちが元々多かった。というより、そういう人たちが日本人の原型だったと思える。惻隠、正義、慈愛、忍耐を重んじる人たちだ。その日本人が、生き馬の目を抜くような経済生活を送るようになってから変わってきた。特に都会では「人がいい」人たちが隅に追いやられているのか、あまり目にしなくなった。反対に自己中心的な人、無神経な人、ずる賢い人たちが増えた。「人がいい」人たちは、こうした人たちから利用され、騙されてきた。だから淘汰されている。
ダーウィンの進化論そのものである。環境に適合できなくなったとも言える。