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【街景寸考】夏休みの「希望の朝」
Date:2014年10月15日00時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
昭和の時代、夏休みになると小学生は毎朝ラジオ体操に行った。ラジオ体操は嫌いではなかったが、朝早く起きなければならないのが苦痛だった。祖母から何度も起きるよう叫ばれていた。起きたらラジオ体操の出席カードを探し、首にかけて家を出た。ときには寝ぼけたまま探すこともあるので見つからないこともあり、イライラしながら家中を掻き回すこともあった。ラジオ体操第1の伴奏が聞こえるころになって見付けたときは、ベソをかきながら一目散に広場へ走った。
学校では不真面目な児童だったが、なぜだかラジオ体操は真面目に通っていた。というよりラジオ体操に参加しなければならないような強迫観念みたいなものがあった。そのせいか、出席カードに押される判子が一日でも欠けたりすると2,3日気が沈んでいた。判子を押す係は6年生だったが、同じ名前の判子が並んでないとカードの価値が下がるような気までしていた。
ラジオ体操は夏休みの定番行事だったが、昨今はそうでなくなった。昨今とは言ってもどのくらい前からかは分からないが、夏休みの最初の方と後の方の僅かな期間しか行わない地域が多くなってしまったようである。
ラジオ体操が下火になった事情は色々とありそうだ。これまで主催してきた子ども会の影が薄くなってきたということがある。これには少子化の影響もありそうだが、子ども会に加盟しない家庭も増えてきたということも見逃せない。
ラジオ体操の行き帰りに事故や事件が起こった場合の責任問題も壁になっているようだ。一番残念に思ったのは、「近くでラジオ体操をやられるとうるさい」と騒ぎ立てる大人たちの声だ。地域の絆が恐ろしく薄れている。
昭和の時代、朝6時半になると炭住街に設置された拡声器から「新しい朝がきた。希望の朝だ。喜びに・・」とラジオ体操の歌が大音量で流れた。地域の朝を元気にしてくれる歌だった。その歌声がうるさいと騒ぐ大人たちが出現することなど思いもよらなかった。
ラジオ体操を終えて帰る道すがら、まだ少し冷たさが残る空気を吸い込みながら「夏休み」を味わっていたように思う。歌詞どおり、「 希望の朝」を迎える気分だった。