【街景寸考】海の見えない海の町

 Date:2016年05月11日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 忘れられない大きめの1枚の写真があった。6歳のときに祖母と叔父に連れられて行橋の海水浴場に行ったときの写真だ。撮影は叔父がしたものだった。自分と祖母の二人が砂浜に座っているだけの写真だった。叔父はこの写真を地元新聞が主催する写真コンテストに応募し、何かの賞をもらったようだった。

 当時は、何の変哲もない写真だとしか思ってなかったが、10数年後に再び手に取って見たときは印象が変わっていた。賑やかな海水浴場の風景とは対照的に、「孫と祖母」が並んで黙ったまま海を眺めているカメラアングルからは、いかにも優しい情感の世界を表現しているように思えた。

 海は、眺めているだけで気分を優しくしてくれる。悲しみや苦しみを慰め、怒りや憎しみの心を和らげてくれたりもする。古代からどれだけ多くの人々が、この海のおおらかさに救われてきたことか。

 今、東日本大震災の被災地になった海岸線は、総延長約400kmの巨大防潮堤の建設が進められている。東京・名古屋間に相当する距離だ。完成すれば高さ10mを超える壁が、延々と続く光景が出現することになる。
この壁は、大概の津波が押し寄せてきても命を助けることができる。そうだとは思うが、人々から海を隠してしまうことになるこの壁は、何とも無粋な物体であることも確かだ。景観よりも命の方が大事であるのは言うまでもないが、正直、思いは複雑であり、暗い。

 「人が住まなくなった地域に巨大防潮堤を造って何を守るというのか」「住まいの多くは高台に移転しているのに、莫大な予算を使ってまで造る必要があるのか」という地元の声もある。「海の町で暮らしながら、きれいな浜辺も、キラキラ輝く海も、雄大な水平線も見えなくなる」という叫びが聞こえてきそうだ。

 巨大防潮堤は人々の心まで壊し、生態系にも悪い影響を与えるように思う。その防潮堤に1兆円の予算をかけるということらしい。学者でもない、役人でもない自分には、どうしても納得できない計画である。

 叔父の撮った「孫と祖母」の写真を孫たちに見せながら、巨大防潮堤の話をするのもよいかもしれない。そう言えばあの写真、今どこに仕舞い込んでいるんだっけ?