【街景寸考】「自分流」でいい

 Date:2016年07月20日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 書店に行くと、店内の前方にハウツー本や自己啓発本がたくさん並べられている。「ダイエット法」「ゴルフ上達法」「交渉術の上達法」「部下を育成する法」「上手な話し方」等々、数えれば切りがないほどある。こうした本を買う人たちに不真面目なタイプはあまりいない。自分の目標を持ち、何とか達成したいという意志を持つ、真面目なタイプが多い。

 かつて、自分も一度ハウツー本を買ったことがある。野球が上達するための本だ。確かに野球が上手になりそうなことがたくさん書かれていた。読んでいたら、だんだん他の野球少年にはなるべく読んでもらいたくないと思ったほどだ。

 この本を読んだことで実際どれだけ野球が上達できたかは量ることはできないが、上達のきっかけくらいにはなったように思う。こうした手引書、入門書、実用書などのハウツー本は、書いてあるとおりのことを繰り返してさえいれば、大なり小なり上達できるという性質のものだ。

 ところが自己啓発本になると、そうはいかない。自己啓発とは人間のある能力向上を目標としているので、そう簡単に書いていることを実践できるものではなかろう。例えば、「交渉術の上達法」などがそうだ。手本となるような育て方が書かれていても、著者と同じような知性や教養、品性、個性や能力が自分自身に具わっていなければならないからだ。「部下を育成する方法」というのも同じことが言える。

 実際、自己啓発本を読んだからといって、目標とする能力が具わった人間になれたという話を、自分の周りでは聞いたことがない。ハウツー本とは違い、書かれていることを繰り返していれば、その目標を達成できるという性質のものではないからだ。

 マインドを高めるという点では、自己啓発本を読む価値はあるのかもしれない。しかし、マインドだけで能力向上につなげることは難しいのが現実だ。この手の本は難しいことが書かれているわけではないが、相当に努力しなければならない部分が大きく省略されているという点で共通しているように思う。

 結局、自分が目標とする人間になるためには、自分で考え、実践しながら紆余曲折し、その積み重ねの中から「自分流」の形を創り上げていくしかないように思う。その自己評価が、たとえ50点だったとしても、である。他人とは比べることのできない価値ある50点だ。