【街景寸考】気の毒なこと

 Date:2016年07月27日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 夏休みだというのに、子どもたちが外で「遊んでいる光景」をあまり見ない。というか、歩いている姿さえもあまり見ない。一体どこにいるというのだろうか。家の中なのか、塾なのか。中学生が歩いているのは見かけるが、多分部活の行き帰りだろう。

 自分の小さい頃は、毎日のように外で遊んだ。外の暑さが気になることはなかった。海や川にはあまり連れて行ってもらえなかったが、顔は真っ黒になっていた。外へ遊びに行くときは「帽子をかぶりなさい」と祖母から言われていたが、その意味がよくわからなかった。

 遊び仲間を誘うときは、玄関前に立って「○○ちゃん、あそぼーやぁー」と大きな声で呼ぶのが常だった。玄関の戸口から友だちが顔を出すまで、何回も叫んでいた。留守のときは「○○は今おらんよー」とか「どっか遊びに行っとるよ」と言う母親の声が返ってきた。

 2人だけのときは、ただぶらぶらと歩くだけだったが、遊びのアンテナを動かしながら歩くので退屈ではなかった。新たに仲間が加わって3、4人くらいになると、「何して遊ぼうか」とみんなで話し合い、缶ケリやかくれんぼをしたり、パッチン(メンコ)やビー玉をしたりして遊んだ。地面に土俵を書いて相撲もした。

 チャンバラごっこもよくした。たまに女の子が加わるときがあった。女の子にはチャンバラをやらせず、姫様役になってもらった。悪役になった者が姫様を追いかけ、正義のサムライ役が姫様を守りながら戦うという筋書きになった。男の子より大柄な女の子が加わったときは姫様役にするのがはばかられたが、サムライ役にするのはもっと抵抗感があった。

 遊び場は、たくさんあった。空き地や路地も遊び場だった。近くにあった病院のテニスコートで三角ベースの野球をやり、若い医師に見つかるたびに大声で叱られた。少し遠くまで足を伸ばして池や竹藪のあるところまで行き、冒険ごっこや秘密基地を造って遊んだ。

 今、こうした遊び方をしなくなり、遊び場も少なくなった。遊び場を探してまで遊ばないようにもなった。目の前に遊び場があっても遊ぶ子は少なくなった。野球やサッカーのクラブに所属して元気に練習をする子どもたちはいるが、「遊んでいる光景」とは異質なものだ。

 子どもたちは遊びを通して多くを学び、社会に適応できる大人になるものだ。そういう意味で、遊びは生きた貴重な教材である。多くの教材に囲まれて育つことで豊かな精神性を養うことができた。今、教材の数は減り、遊びが偏重的になった。子どもたちが気の毒である。