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【街景寸考】「ヒャッペン」の引っ越し
Date:2016年09月28日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
肝臓がんを患い、1年ほど闘病生活を送っていた祖父が亡くなったのは、わたしが小学校4年生のときだった。70歳を過ぎていたのは確かだが、正確な没年はわからない。知る必要に迫られたことがなかったので、今日までそのままにしていた。
葬儀の日のことは少しだけ記憶にある。炭鉱長屋の6畳の間で葬儀が行われたこと、いつも笑顔で接してくれていた近所の人たちの表情が真顔だったこと、火葬場で「おじいちゃんは、お浄土に行ってしまったね」と、住職がわたしのそばで語りかけてくれたこと、である。
通常、仏様になった故人をあまり悪く言ったりはしないものだが、今は亡き祖母や叔母や母は、そうではなかった。何かの機会で祖父のことが話題になろうものなら、堰を切ったように恨み辛みを捲し立てた。鬱憤が慢性的にため込まれているような迫力があった。
「週に3日しか働かなかった」「自分たち娘には、愛情のかけらもなかった」「毎日酒を飲んでは暴れていた」「顔を上げて近所を歩けなかった」という文句が、次々と祖母たちの大口から吐き出された。
祖父は酒を飲むだけでなく、近所にも迷惑をかけていたため、家族はひとところに落ち着くことができず、住まいを転々としなければならなかった。「ヒャッペンぐらい引っ越した。もうこりごりやったわ」という祖母の言葉から、その頃のことを推し量ることができた。この言葉を口にするときの祖母は、いかにも「こりごり」という表情をしていた。
祖父が酒に溺れ、自虐的になっていたのは、実家での何かの事情が背景にあったようだったが、肝心なところは誰も語ろうとはしなかった。石川県の山あいにある鍋谷という集落で生まれ育った祖父、祖母だったが、ヒャッペンも引っ越したあげく筑豊まで流れ着いた。
祖父は炭坑長屋で暮らすことになってからも、酒との縁を切ることができなかった。そう言えば、祖父の額にあった傷跡も、この酒と何か関係があるに違いないと思っていた。ところがある夜、いつものように酔っぱらって帰ってきた祖父に向かって、いつもは物静かな叔父(祖父の末子)が家の中から「(家に)入るこたぁならん」と大声で叫んだのだ。
これ以来、祖父は人が変わったようになったそうだ。酒を止め、養命酒をチビチビと飲むだけの祖父になった。わたしを可愛がってくれていた祖父の記憶は、この頃からのものだ。
今は、みんな浄土に行ってしまっている。祖父を囲んで「ヒャッペンの引越し」で花が咲いていたらどんなに愉快だろう、と思ってみることがある。