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【街景寸考】笑顔のこと
Date:2016年11月02日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
笑顔は、親しみの感情を表現するものだ。人間関係をなめらかにする手段でもある。初対面のときなどに愛想をよくしようとするのは、そのためだ。自分に好感をもってもらいたいという意志でもある。愛想は作られた笑顔ではあるが、誰も悪い気はしない。お互いが本当の笑顔で交わし合えるための、呼び水効果もある。
あえて愛想を作らない人もなかにはいる。別に他人から好感を持たれなくても構わないというタイプだ。若い頃はこの手の人間と出会うと、気分を害した。その心境が理解できないので、奇人か変人かと思うことで念を晴らすしかなかった。
しかし齢をとってからは、この手の人間に悪人はあまりいないと思えるようになった。自分を飾ることなく、素のまま生きている人間に多いということが分かってきたからだ。齢のせいで、少しだけまろやかになってきたのかもしれない。
同じ笑いでも、他人を嘲るような笑い顔もある。「嘲笑」と書くこの手の笑いは、蔑みや排除の感情がこもっており、笑顔の範疇に入れることはできない。真の笑顔は、滑稽なとき、楽しいとき、親しみを感じるとき、幸せを喜ぶときに表れる。
話は少し変わる。日本人には、外国人に理解できそうにない笑顔もある。災害現場などで被災者がテレビ取材を受けているときによく見かける、あのぎこちない笑顔のことだ。「自然災害なので仕方ありません」「どこから手をつけたらよいのか分かりません」と困惑しながら答えているときの表情は大抵の場合、嘆いている顔はしていない。(家族が亡くなるなど希望を失うような被災をした場合は、別であることはもちろんである)。
それにしても、なぜ笑顔なのか(この場合、「笑顔」という言い方に違和感はある)。思うに、被災者としての赤裸々な心情を晒したくないという、反射的な対応なのかもしれない。こうした感情は、日本人特有の慎み深さからくるもののように思う。外国人だったら、その心情を抑えることなく構わずテレビカメラの前で泣き、嘆くところである。
もちろん、被災者の心情を晒すことの良し悪しを問題にしているわけではない。日本人気質が失われているなかで、意識下から普通にその気質の一部が被災者から表れている、ということが言いたかった。
その笑顔のなかに、その人の品を窺うことができるところがいい。