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【街景寸考】スーパームーンのこと
Date:2016年11月23日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
子どもの頃、辺りに家々がなく街灯もない夜道を歩くときは、月明かりを頼りにしていた。特に狭い路地やあぜ道では、目の前の暗闇が異空間のように思えて不安になった。白い着物を着た長い髪の女性が現れるのではないかという、恐怖心もあった。もちろん、何かにつまずいたり、道を踏み外したりするかもしれないという心配も。
反対に、月が煌々と照っている夜は、そのありがたさと風情を味わいながら歩くことができた。大人になり、街灯があちこちに燈されている住宅地で生活するようになってからは、その月明かりのありがた味を感じなくなっていた。夜散歩するときでも、わざわざ立ち止まって月を眺めたり、眺めながら気を紛らわせたりすることがなくなった。
先日、「スーパームーン」のことを賑やかに報道していた。その報道で初めて「1年のうちで最も大きく見える満月のこと」だということを知った。その日の日本列島は大半が雲に覆われ、天体ショーを期待していた人々を失望させたようだった。その翌日の夜、わたしは「スーパームーン」のことは念頭になく散歩をした。
薄明りの路地を歩いていると、とある玄関先で夜空をじっと見上げる人影があった。人影はその家の主婦のようだった。1日遅れの「スーパームーン」を見上げているのだと察したので、いきなり「まだ大きいですか」と声をかけ、わたしも同じ方向を仰いでみた。咄嗟に発した不躾な言葉だったのに、「ほとんど昨日の大きさと変わらないと思いますよ」と彼女はそう快く応えてくれた。
確かにこの日の夜空の満月は、普段よりも大きく見えた。先入観によるものだったかもしれないが、そう見えたのだからその自分の感覚を信じた。見入れば見入るほど、神々しく見える気がした。なるほど、世間が騒いでいた満月だけのことはあった。しみじみと月を見入るのは、久方ぶりだった。
小学生の頃、歩いて15分ほどの親戚の家に、母とふたりで貰い湯に行くことがあった。その帰り道に、母はわたしの手を取って菅原都々子の「月がとっても青いから」をよく唄った。母がこの歌を唄うときは、いつも夜空に月が浮かんでいた。月が雲に隠れて暗くなっても、母の歌声は闇を押しのけ、お化けを蹴散らしてくれるように思えた。
当時、その歌を聞きながら不思議に思っていたことがあった。月は白か黄色にしか見えないのに、なぜ歌の中では青色なのだろうかと。