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【街景寸考】七輪のこと
Date:2016年12月07日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
今や若者の多くは、七輪のことを知らないのではないか。昭和30年代までは、食べ物を煮炊きする炉として、多くの家庭で七輪が使われていた。料理屋で「七輪炭火焼」と言えば木炭が燃料だが、炭住長屋で暮らしていたわたしの家では、炭鉱会社から配給される豆炭を使っていた。
豆炭というのは、石炭の粉を片手で握れるくらいの大きさに、練り固めたものだ。豆炭が造られる様子を4、5歳の頃に見たことがあった。近くの豆炭工場で働いていた祖母が、わたしを何度かそこに連れて行ったことがあったからだ。その工場では、姉さんかぶりにモンペ姿の女衆20人ほどが、炭にまみれた汗だくの顔で忙しそうに立ち働いていた。
当時、夕飯どきになると、子どもたちが七輪の火をおこす光景があちこちに見られた。まず古新聞紙を丸めてマッチを点け、続けて直ぐに細めの薪をくべ、薪に燃え移ったところで豆炭をのせるのだ。火に勢いがつくまで、うちわで煽がなければならなかった。冬場は、土間で煮炊きをした後の七輪を茶の間に上げ、炬燵がわりに暖をとった。
この時期になると、その七輪のそばで日がな一日胡坐をかいて過ごす祖父の姿を想い出す。このときの祖父は、かつて酒を飲んで家族や近所に迷惑をかけていたときの面影はなかった。ただ大人しいだけの老人だった。もっとも、わたしが悪さをしたときだけは、生気のない眼に光が走った。
風邪を引いて鼻汁が出ているとき、小さく長方形に切った古新聞で祖父は鼻をかんでいた。かんだ後は、その古新聞を再び広げて七輪のそばに置いて乾かした。また次にかむときに再利用をするためだ。
わたしも何度か祖父の真似をしたことがあったが、再利用した古新聞で鼻をかむときは破れることが多かった。うまく鼻がかめても鼻先がヒリヒリして痛かった。祖父がするように新聞を一旦クシャクシャにすれば、破れることがなく、ヒリヒリすることもないと教わっていたが、その要領をつかむのは難しいように思われた。
七輪の前で祖父が屁をする様子は、見応えがあった。祖父は屁をする直前に必ず尻を傾けた。見応えというのは、その姿と屁の音である。その音は、水中で息を我慢するときと同じくらい長かった。その間中、祖父は真正面を見据えたままの態勢を保ち、最後は口を真一文字に結び、残りの屁を短く放った。
昨今、自分も屁が長めになってきた。祖父と同じように齢のせいだと思われるが、どういう法則によるものかは分からない。