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【街景寸考】汽車の思い出
Date:2016年12月14日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
まだ汽車(S L)が走っていた頃の話である。
子どもの頃、初めて見た汽車の第一印象は、先頭に立つ蒸気機関車の威風堂々とした姿だった。黒光りする線路上の巨体を、畏怖の念をもって眺めていたものだ。「シューッ、シューッ」と蒸気を勢いよく噴き出しながら、ゆっくり動き始めるときの力強さにも、凄味があった。全速力で黒煙を長くたなびかせながら走る姿にも、勇者の風格があった。
汽車に乗っているときに一点だけ困ることがあった。走行中に蒸気機関車から飛んでくる石炭の煤だ。この煤が開けている車窓から目に入ってきた。目に入るたびに「チカッ」とする痛みがしていた。予期せずにトンネルの中に入ったときは、煤に加えて黒煙がむせ返るほど車内に入り込み、慌てて窓を閉めなければならなかった。
汽笛を鳴らしたときの轟音はすさまじく、そばにいる者の耳をつんざいた。機関士はトンネルや鉄橋に近づくと、必ず合図の汽笛を鳴らしていた。線路内で作業をする人たちへ危険を知らせる合図だが、「ごくろうさん」の意味も兼ねていたようだ。
夜の汽笛は、なぜかいつも哀愁を漂わせているように聞こえていた。辺りの山々にこだまする汽笛の響きが、その情感を盛り上げた。客車の窓々に灯る暖かい明かりが、人それぞれの人生のように感じられ、夜汽車というだけで不思議な愛着を覚えた。
乗降口は今の電車のような自動開閉ではなかったので、鈍行列車の場合は開いたまま走ることも多かった。汽車がゆっくりした速度のときは、子どもでも開いたドアから飛び降りたり、飛び乗ったりして遊ぶことができた。
その遊びをして大目玉をくらったことがあった。日田彦山線の池尻駅でのことだ。動き出した汽車に面白がって飛び乗ったわたしを駅員が見つけたらしく、わたしより少し遅れてその駅員が同じデッキから飛び乗ってきたのだ。彼はわたしを睨みつけながら近寄ってきて、「飛び乗ったのはお前か。危なかろうが。今度したら承知せんぞ」と怒鳴った。
短い言葉でそう言うと、彼は再びホームに戻って行った。そのときは、もう子どもでは飛び降りることができない速さになっていた。彼が去った後、怒鳴られたことの真意が心に届いたのか、わたしは思わずデッキでベソをかいた。謝罪と感謝のベソだった。
以上は、汽車の時代だったからこそ体験できた想い出である。