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【街景寸考】正月の憂鬱
Date:2016年12月21日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
正月が近づくと憂鬱になる。毎年、そうなる。年始の挨拶が億劫だからである。億劫よりも苦手意識が先にある。かしこまった風に挨拶をしなければならないところが嫌である。元々上流の人たちの間で交わされてきた伝統的な儀礼だったと思われるが、庶民にまで広がってきたことを恨めしく思う。初対面の相手であれば、かしこまるのも自然にできるので、あまり抵抗感はないが、友人・知人の場合だと照れてしまいどぎまぎしてしまう。
年始の挨拶が嫌いな理由はまだある。挨拶の口上が堅苦しく、しかも長ったらしい点だ。英語圏の国々であれば「ハッピーニューイアー」で済ますことができるが、日本の場合はそうはいかない。最低でも「新年明けまして、おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」と言わなければならない。
しかも、新しい年が明けたからといって特別な感慨はないので、「おめでとうございます」と言われても嬉しく思ったことはない。相手方に「おめでとう」と言うのも嘘をついているようで、舌がうまくまめらなくなる。お年玉を貰っていた子どもの頃は、正月そのものが嬉しかったので、「おめでとう」という言葉に何の疑問もあるはずはなかった。
以上のようなことから、特に正月三が日は友人・知人とは極力会わないように神経を尖らせてきた。やむを得ず外出したときは、どこかで知った者と会わないかと戦々恐々とし、バッタリ会うことがあれば敵兵と遭遇したときのように殺気立った。
サラリーマン時代、御用始めの日は一日中気が重く、気分が悪くなることもあった。職場のひとり一人に対して、こちらから挨拶をしかけていくか、相手が挨拶にくるのを待つかと神経を張り巡らしていた。現役を退いた今は、その頃に比べればはるかに楽にはなったが、その後遺症が未だにあるらしく憂鬱な気分は以前のままである。
他の人たちが年始の挨拶をしている光景は、とても清々しく、お互いが心から新年を祝福しているように見える。そうした光景を見るたびに、自分だけがひねくれた変わり者のように思えることもあった。もっと割り切って、軽い乗りで「実行」すればいいんだと何度も自分に言い聞かせてきたが、うまくできたことはなかった。
この辺の課題が少しも進展しないまま、今年もまた正月を迎えようとしている。