【街景寸考】甲子園敗戦、もう一つの涙

 Date:2017年09月06日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 高校に入学後、3、4日経ってから野球部に入るはめになった。中学時代は卓球部に所属していたので、まさか野球部に入るとは自分でも思ってもみなかったことだ。中学校が一緒だった友人から「野球部に入るので部室までついて来てくれ」と頼まれ、気安くついて行ったのが運命の分かれ道となった。

 部室に行くと、背が高くていかにも屈強そうな先輩が出てきた。友人が入部の意志を伝えると、その先輩は友人の後ろにいるわたしに向かって「お前も入れ」と言ったのである。太く低い声だった。断るのが怖くなり、もはや腹を括るしかなかった。腹を括りながら、果たして高校レベルの野球について行けるかどうかという不安がよぎっていた。

 その不安は直ぐに的中した。同じ一年生部員のほとんどは中学時代から野球部で鍛えた者ばかりだったので、彼らとの差は歴然としていた。技術力の差は言うまでもなく、体力的にもかなりの差があり、いつも真っ先にへこたれる姿を晒さなければならなかった。

 何度もやめたいと思ったが、言い出しきれなかった。そのうち練習の成果が少しずつ現れ、2年生になった頃には一番の俊足になり、遠投も守備力も他の部員に負けてなかった。バッティングも「長嶋みたいだ」とコーチから言われたときは、嬉しさをかみ殺した。

 新チームになった2年生の夏、監督は部員が揃っている部室でわたしを主将に指名した。わたしは後ろめたさを持ちながらも安請け合いをした。後ろめたかったのは、目的が他の部員と違い、試合に勝つことではなかったからだ。小さい頃から病弱だったわたしは、心身を鍛えることだけを第一の目的にして練習を続けていた。主将として自分が率いたチームがほとんど負けてばかりいたのは、わたしのこの考えと無関係ではなかったと思う。

 今夏の甲子園大会も、見応えのある試合がたくさんあった。選手たちの気迫溢れるプレイに、毎度のことながら心打たれた。試合が終了すると、負けた側の選手たちの姿を目で追い、特に泣いている選手を凝視した。

 わたし場合、最後の敗戦のときに流れた涙は悔し涙ではなかった。汗にまみれながら辛い練習に耐えてきた日々との惜別の思いからくる涙だった。甲子園で敗戦した選手の涙は、いかにも悔し涙のように見えた。しかし、その涙の中にはきっとわたしと同じような類の涙も、少しは混じっていたはずである。

 強制的に入部させられたような野球部ではあったが、唯一の趣味として68歳になった今でも何とか続けている。心は野球少年のままである。